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観世流 かんぜりゅう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

観世流
かんぜりゅう

(1) 能楽シテ方の流派。大和猿楽四座の一つ観世座の観阿弥清次 (幼名観世丸) より始る。2世世阿弥元清が足利3代将軍義満の寵を得て大成し,以後多少の盛衰はあるが,江戸時代を通じて四座一流の筆頭として君臨した。流風は優美華麗で,今日でも最大の流儀であり,能楽師数百名を擁し,能楽協会員の半分を占める。現家元は 26世観世清和 (1959~ ) 。東京に観世能楽堂,京都に観世会館をもつ。 (2) 能楽太鼓の流派。左吉流ともいう。流祖は観世与四郎吉国。現家元は 16世で観世元信 (1931~ ) 。 (3) 能楽小鼓の流派。新九郎流ともいう。流祖は観世彦右衛門豊次。現家元は 18世で宮増純三 (1934~ ) 。 (4) 能楽大鼓の流派。流祖は小鼓方観世流6世の4男観世弥三郎信方 (1672~1718) 。近代以降宝生錬三郎派と呼称され,正式には一流と認められていなかったが,岡山在住の同流,守家金十郎 (1893~ ) ,守家敏治 (1929~ ) 父子の努力が実を結び,1986年観世流として認定された。

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デジタル大辞泉の解説

かんぜ‐りゅう〔クワンゼリウ〕【観世流】

能のシテ方の流派の一。大和猿楽結崎座(ゆうざきざ)の流れで、幕末までは観世座といった。観阿弥清次を流祖とする。江戸時代には四座一流の筆頭とされた。
能の小鼓方の流派の一。16世紀中ごろに、宮増弥左衛門親賢と観世彦右衛門豊次が創始。代々、観世新九郎を名のることが多い。
能の太鼓方の流派の一。音阿弥の子、観世与四郎吉国を流祖とする。左吉流。
能の大鼓方の流派の一。昭和61年(1986)宝生練三郎派が観世流と改められた。

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百科事典マイペディアの解説

観世流【かんぜりゅう】

(1)能のシテ方五流の一つ。南北朝の結崎(ゆうざき)座。観阿弥を流祖とし,足利義満の後援を得て発展した。江戸時代は四座一流の筆頭の位置を占め,現代でも全国的に圧倒的な流勢を示す。
→関連項目梅若実音阿弥上掛り観世華雪観世左近観世信光観世寿夫観世栄夫観世元章観世元雅鷺流申楽談儀下掛り世阿弥橋岡久太郎囃子方大和猿楽

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世界大百科事典 第2版の解説

かんぜりゅう【観世流】

(1)能のシテ方の流派名。流祖の観阿弥清次(かんあみきよつぐ)(1333‐84)は,南北朝ころ奈良盆地南部で活動したらしい山田猿楽美濃大夫の養子の三男で,通称三郎,芸名を観世という。観阿弥多武峰(とうのみね)寺や春日興福寺の神事猿楽に《式三番》(《翁》)を務めるための組織であった大和猿楽四座の一つ結崎(ゆうざき)座に所属し,演能集団の代表者である大夫(棟梁の為手(して))として活躍した。座名の観世は彼の芸名に由来する。

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大辞林 第三版の解説

かんぜりゅう【観世流】

能楽のシテ方の五流の一。もと大和猿楽四座しざの一つ結崎座ゆうざきざから出る。足利義満の将軍時代に名手観阿弥清次が出、その子藤若(世阿弥元清)が義満の寵を受け、栄えるに至った。
能楽の太鼓方の流派。シテ方観世流三世音阿弥元重の子観世与四郎吉国を祖とする。
能楽小鼓方の流派。宮増弥左衛門の甥観世彦右衛門豊次を流祖とする。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

観世流
かんぜりゅう

(1)能の一流派。シテ方五流の一つ。流祖は幼名を観世丸といった観阿弥清次(かんあみきよつぐ)(1333―84)。結崎座(ゆうざきざ)と称し、円満井(えんまい)座、外山(とび)座、坂戸(さかと)座に次いで興福寺に属し、大和猿楽(やまとさるがく)四座といわれる。1374年(文中3・応安7)以降、足利義満(あしかがよしみつ)の後援を得た観阿弥・世阿弥(ぜあみ)父子は、能を芸術的に大成した。3世は世阿弥の子観世元雅(もとまさ)。足利義教(よしのり)は元雅の従弟(いとこ)の音阿弥(おんあみ)を偏愛し、次の大夫(たゆう)とした。現在の観世家は元雅を世代に数えず、音阿弥を3世としている。音阿弥の子の観世信光(のぶみつ)や、その子観世長俊(ながとし)らが歴代の大夫を支え、また革新的な能をつくって室町末の動乱期を乗り越えた。南北朝以来の四座と、新興の喜多流が「式楽(しきがく)」として江戸幕府の体制に組み入れられると、7世観世元忠(もとただ)や9世観世黒雪(こくせつ)の徳川家康との縁もあり、観世座は筆頭の地位と特権を得た。15世観世元章(もとあきら)が、詞章と演出に大改訂を試みた「明和(めいわ)の改正」も注目される。明治維新の際、22世観世清孝(きよたか)は、徳川慶喜(よしのぶ)とともに静岡に移り、初世梅若実(みのる)、5世観世銕之丞(てつのじょう)(紅雪)らが東京で能の復興に努めた。その際の免状発行権に関する観世宗家との紛争は、1921年(大正10)梅若流樹立へと発展したが、梅若内部の分裂もあり、54年(昭和29)2世梅若実・六郎一門の観世復帰で落着した。大正から昭和にかけては、24世観世左近(さこん)の政治的手腕もあり、早く梅若から復帰した初世梅若万三郎、6世観世銕之丞(華雪)や、橋岡久太郎(きゅうたろう)、初世観世喜之(よしゆき)らの名手を擁して、圧倒的な流勢を確立した。優美華麗な芸風は時流にのり、観世流の能楽師は各流各役を網羅する能楽協会会員の過半数に近い。宗家25世観世元正(もとまさ)(1930―90)は左近の養子で清孝の曽孫(そうそん)。その長男が現宗家26世清和(きよかず)。財団法人観世文庫を主宰。現在は左近直系の人々、宗家の分家である観世銕之丞家(銕仙(てっせん)会)、観世喜之家(九皐(きゅうこう)会)、梅若六郎家(梅若会)、梅若万三郎家(橘香(きっこう)会)、梅若猶義(なおよし)家、橋岡家などがあり、関西では京観世の系統を引く林、井上家や、片山、大江、大槻(おおつき)、大西、杉浦、浦田、山本、藤井、上田家などがある。それぞれ東京・京都の観世会館ほか、各家の能楽堂を拠点として演能活動を行い、機関誌『観世』をもつ。
(2)能楽小鼓の流派。新九郎派ともいう。観世豊次(とよつぐ)(観世信光(のぶみつ)の孫)を流祖とする。現宗家は宮増純三(みやますじゅんぞう)(1934― )。
(3)能楽太鼓の流派。左吉流(さきちりゅう)ともいう。観世吉国(よしくに)(音阿弥の子)を流祖とする。現宗家観世元信(もとのぶ)(1931― )は16世。[増田正造]
『野々村戒三著『能楽史話』(1944・春秋社)』

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世界大百科事典内の観世流の言及

【能】より

… 南北朝時代には,諸国の猿楽座の中で大和猿楽近江猿楽が際立つ存在だった。大和猿楽の中心は興福寺支配の4座,すなわち円満井(えんまい),坂戸,外山(とび),結崎(ゆうざき)の座で,これが後に金春(こんぱる)座(金春流),金剛座(金剛流),宝生座(宝生流),観世座(観世流)と呼ばれるようになる。結崎座を率いる観世という名の役者(後の観阿弥)は,技芸抜群のうえくふうに富み,将軍足利義満の愛顧を得て京都に進出し,座勢を大いに伸ばした。…

【大和猿楽】より

…秀吉は宇治猿楽や丹波猿楽の役者を大和猿楽四座にツレ囃子方として所属させたため,それらの諸座は解体の運命をたどり,結果的に大和猿楽のみが命脈を保つこととなったが,江戸幕府も秀吉の政策を継承し,四座の役者に知行・扶持・配当米を与えて保護した。この四座に江戸初期に一流樹立が認められた喜多流を加えた四座一流が幕府保護の猿楽で,それが今日の五流(観世流宝生流金春流金剛流,喜多流)のもととなった。【天野 文雄】。…

【結崎】より

…結崎が歴史地名として著名なのは,能楽の観世座がその草創期にここに本拠をすえたことによる。観世流の祖観阿弥清次は,伊賀国で成長し,小波多(現,名張市)で一座を結成し,結崎に移って座名も結崎座(ゆうざきざ)と改めたといわれてきた。芸風の上でも経済的にも一座の基礎を固め,結崎座は大和猿楽四座の一つとなった。…

※「観世流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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