観音寺経塚(読み)かんのんじきようづか

日本歴史地名大系 「観音寺経塚」の解説

観音寺経塚
かんのんじきようづか

[現在地名]上石津町三ッ里 入谷

養老山地から東に延びた低い丘陵上に立地。県指定史跡。大同年中(八〇六―八一〇)創建という伝えのあった観音寺は丘陵の東中腹にあった。経塚の盛土は削平され、碑石を中心に経二・五メートルほどが河原石によりマウント状を呈している。碑石は高さ約八〇センチ、幅約三六センチの自然石で、銘文には如法経として文治五年(一一八九)一〇月一四日とあり、同心多良郷、願主慶覚などと陰刻されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 養老町 大垣市

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む