観音教寺
かんのんきようじ
[現在地名]芝山町芝山
芝山の台地上に位置する。天台宗、天応山と号し、本尊は十一面観音。江戸時代は上野寛永寺末。寺伝によれば、天応元年(七八一)に藤原継縄が東国の蝦夷を討伐し、凱旋の帰途当地に一宇を建て観音寺と号したのが始まりという。一説には、宝亀一一年(七八〇)諸国に寺院建立の勅命があった時に建立されたともいう(稿本千葉県誌)。天長二年(八二五)円仁により七堂伽藍が建立され、八〇余宇の子院が設けられたと伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の観音教寺の言及
【芝山[町]】より
…三つの工業団地と物流センターがつくられている。県内最大の古墳地域で,[芝山古墳群]から出土した埴輪を展示した芝山はにわ博物館が,〈芝山仁王尊〉の名で知られる天台宗観音教寺境内にある。【千葉 立也】。…
※「観音教寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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