観音林村(読み)かんのんばやしむら

日本歴史地名大系 「観音林村」の解説

観音林村
かんのんばやしむら

[現在地名]軽米町晴山

晴山はれやま村のうち八戸街道沿いに成立した街村。当地の字泉沢いずみざわ伊保内いぼない(現九戸村)への道を、字中崎なかざき久慈に至る街道(九戸街道・久慈街道)を分岐する。観音林町・観音林駅ともいわれ、天保八年(一八三七)の仮名付帳では晴山村の枝村とされる。八戸街道は陸奥八戸城下と奥州街道の福岡ふくおか(現二戸市)を結び、当地は藩境の猿越さるごえ峠を控えた関門にあたった。地名は千手せんじゆ観音堂が所在したことによる。

「邦内貢賦記」によると福岡へ二里二九町二〇間。文政一三年(一八三〇)書写の御国中賃銭割付(和田文書)では福岡まで二里二九町、賃銭は本馬一〇五文・軽尻六七文・人足五一文であった。「東山道道中双六」に三戸郡市野沢いちのさわ(現青森県三戸郡南郷村)から三里、福岡まで二里二二町半とある。市野沢から三里目の一里塚が当地の西はずれにある。寛文一二年(一六七二)伝馬・切支丹・二判・捨馬・忠孝毒薬に関する制札場、元禄六年(一六九三)には参勤時の休息所として御仮屋が設けられた(「八戸藩史料」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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