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角倉玄紀 すみのくら はるのり

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

角倉玄紀 すみのくら-はるのり

1594-1681 江戸時代前期の豪商。
文禄(ぶんろく)3年生まれ。角倉素庵(そあん)の長男。京都二条の角倉本家をつぐ。近江(おうみ)(滋賀県)の代官,淀川(よどがわ)過書船の支配をつとめる。以後代々幕府につかえ,その職を継承した。延宝9年2月12日死去。88歳。初名は玄徳(はるのり)。通称は庄七,与右衛門,与一。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

角倉玄紀

没年:天和1.2.12(1681.3.31)
生年:文禄3(1594)
江戸前期の京都の代官的豪商。角倉素庵の長男。通称与一,諱は初め玄徳,のち玄紀に改む。幼名は庄七,のち与右衛門。角倉の本家を継ぎ京角倉家の祖とされ,二条角倉屋敷(現在の日本銀行京都支店)に住む。元和6(1620)年父病気引退後,高瀬川支配,淀川過書船支配,近江(滋賀県)代官を継承(のち辞任)。元和期(1615~24)より寛永12(1635)年までの朱印船貿易の主流として活躍。寛永鎖国後朱印船貿易の再開について,末吉,平野,茶屋などの代官的豪商と共に再三幕府に誓願している。なお素庵の生涯の仕事とした『文章達徳録綱領』全6巻を,父の遺志をくんで完成させ,同16年堀杏庵(正意)の序文を添えて刊行した。なお玄紀の後妻に加賀藩の前田利政の娘が入り,角倉家に前田家の血を引き入れた。<参考文献>『角倉源流系図稿』(京都角倉平吉氏蔵),林屋辰三郎『角倉素庵』,中田易直『近世対外関係史の研究』

(中田易直)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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