朝日日本歴史人物事典 「角倉玄紀」の解説
角倉玄紀
生年:文禄3(1594)
江戸前期の京都の代官的豪商。角倉素庵の長男。通称与一,諱は初め玄徳,のち玄紀に改む。幼名は庄七,のち与右衛門。角倉の本家を継ぎ京角倉家の祖とされ,二条角倉屋敷(現在の日本銀行京都支店)に住む。元和6(1620)年父病気引退後,高瀬川支配,淀川過書船支配,近江(滋賀県)代官を継承(のち辞任)。元和期(1615~24)より寛永12(1635)年までの朱印船貿易の主流として活躍。寛永鎖国後朱印船貿易の再開について,末吉,平野,茶屋などの代官的豪商と共に再三幕府に誓願している。なお素庵の生涯の仕事とした『文章達徳録綱領』全6巻を,父の遺志をくんで完成させ,同16年堀杏庵(正意)の序文を添えて刊行した。なお玄紀の後妻に加賀藩の前田利政の娘が入り,角倉家に前田家の血を引き入れた。<参考文献>『角倉源流系図稿』(京都角倉平吉氏蔵),林屋辰三郎『角倉素庵』,中田易直『近世対外関係史の研究』
(中田易直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報