精選版 日本国語大辞典 「角倉素庵」の意味・読み・例文・類語
すみのくら‐そあん【角倉素庵】
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(中田易直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
江戸初期の京都の豪商。嵯峨を本拠とした角倉(本姓吉田)了以の長子で,通称与一,諱(いみな)は玄之,のち剃髪して貞順,字を子元,素庵は号。医者と土倉業を二本柱とする吉田一族の裕福な環境のなかで,若くして学問を修め,博識な教養と幅広い交友を基礎に,上層町人を中心とする寛永文化を舞台裏で支えた。林羅山を藤原惺窩(せいか)に紹介して二大儒者を引きあわせたり,本阿弥光悦らとともに嵯峨本の出版にもあたった。能書家でもあり,角倉流書風の始祖とされる。家業の面では,父了以を助けて大堰(おおい)川,富士川,天竜川の開削事業を補佐し,海外貿易でも日本国回易大使司となって父の没後も角倉船を派遣している。幕府とのつながりも徐々に深め,1606年(慶長11)徳川家康の命で甲斐,伊豆などの鉱山を巡視し,大坂冬の陣では徳川方の兵器食糧を運搬した。高瀬船,淀川過書船支配のほか代官にも任命され,幕臣となった。
執筆者:鎌田 道隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸前期の豪商、文人。通称与一(よいち)。号は素庵。角倉了以(すみのくらりょうい)の長子。朱印船貿易家としても知られた父了以の事業を助け、大堰井(おおい)川、富士川、天竜川の開削事業を補佐した。海外貿易でも自ら日本国回易大使司(にほんこくかいえきだいしし)を称して、角倉船を海外に派遣した。朱印船貿易のほかにも、淀川転運使や木曾山の巨木を運び出す巨材採運使、近江国坂田郡の県令(代官)に任命された。文化人としても知られ、藤原惺窩(ふじわらせいか)に師事し朱子学を学び、惺窩と林羅山(はやしらざん)を引き合わせた。また本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の協力を得て嵯峨(さが)本を出版している。能筆家としても知られ、光悦とともに洛下三筆と称された。
[小山幸伸]
『川島元次郎著『朱印船貿易史』(1940・巧人社)』▽『林屋辰三郎著『角倉素庵』(1978・朝日新聞社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…江戸時代の初め,慶長13年(1608)から元和年間(1615‐24)にかけ,洛西(京都西部)嵯峨の素封家角倉(すみのくら)素庵(光昌)が,寛永の三筆の一人本阿弥(ほんあみ)光悦の協力をうけて版行した私刊本の総称。開版者の名を冠して〈角倉本〉ともいい,版下が光悦の自筆またはその門流の手になるところから〈光悦本〉とも呼ぶ。…
※「角倉素庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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