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角田九華 つのだ きゅうか

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美術人名辞典の解説

角田九華

江戸後期の儒者。程朱学派。豊後生。角田東水の養子。名は簡、字は大可、のち廉夫、通称を才次郎、九華は号。中井竹山に学ぶ。岡藩儒臣。禄二六十石。安政2年(1855)歿、72才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

角田九華 つのだ-きゅうか

1784-1856* 江戸時代後期の儒者。
天明4年生まれ。角田東水の養子。豊後(ぶんご)(大分県)岡藩士。脇蘭室や大坂の中井竹山にまなぶ。藩にもどり藩校由学館の侍講をへて教授となる。安政2年12月28日死去。72歳。本姓は仲島。名は簡。字(あざな)は大可,廉夫。通称は才次郎。著作に「近世叢語」「近世人鏡録」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

角田九華

没年:安政2.12.28(1856.2.4)
生年:天明4(1784)
江戸中・後期の儒学者。名は簡,字大可また廉夫,通称才次郎,九華山人と号す。豊後(大分県)岡藩の大坂邸に藩士の子として生まれる。程なく孤児となり,藩医角田家へ入籍。幼より学問に才あり,10代で藩の『豊後国志』編纂を命じられ完成。以後大坂と豊後竹田往復のうちに,藩の学芸において田能村竹田と共に主導的役割を果たした。脇愚山や大坂懐徳堂に入門,徂徠学を止揚して再び力を回復した朱子学の洗礼を受ける。中年にして林家に入り書籍を博捜,世説新語に擬した近世人物逸話集『近世叢語』『続近世叢語』を作り,名を後世不朽のものとした。ほかに『近世人鏡録』が木活字版で出されたが,ほとんどの著述は写本で残され,散逸するものが多い。道学者然とした人物ではなく詩文を好み,頼山陽らとの雅交も知られる。

(宮崎修多)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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