朝日日本歴史人物事典 「角田九華」の解説
角田九華
生年:天明4(1784)
江戸中・後期の儒学者。名は簡,字大可また廉夫,通称才次郎,九華山人と号す。豊後(大分県)岡藩の大坂邸に藩士の子として生まれる。程なく孤児となり,藩医角田家へ入籍。幼より学問に才あり,10代で藩の『豊後国志』編纂を命じられ完成。以後大坂と豊後竹田往復のうちに,藩の学芸において田能村竹田と共に主導的役割を果たした。脇愚山や大坂懐徳堂に入門,徂徠学を止揚して再び力を回復した朱子学の洗礼を受ける。中年にして林家に入り書籍を博捜,世説新語に擬した近世人物逸話集『近世叢語』『続近世叢語』を作り,名を後世不朽のものとした。ほかに『近世人鏡録』が木活字版で出されたが,ほとんどの著述は写本で残され,散逸するものが多い。道学者然とした人物ではなく詩文を好み,頼山陽らとの雅交も知られる。
(宮崎修多)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報