ツンベルク(読み)つんべるく(その他表記)Carl Peter Thunberg

デジタル大辞泉 「ツンベルク」の意味・読み・例文・類語

ツンベルク(Carl Peter Thunberg)

[1743~1828]スウェーデンの博物学者・医師リンネ指導を受ける。安永4年(1775)長崎オランダ商館の医師として来日、1年滞在。日本医学植物学発達貢献。著「日本紀行」「日本植物誌」など。ツーンベリ。ツュンベリー。

ツンベルク(Torsten Thunberg)

[1873~1953]スウェーデンの生化学者。生体酸化還元反応研究ツンベルク管考案

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ツンベルク」の意味・読み・例文・類語

ツンベルク

  1. ( Carl Peter Thunberg カール=ペーター━ ) スウェーデンの植物学者、動物学者、医者。安永四年(一七七五オランダ東インド会社の医師として来日、多数の日本植物を採集、翌年出国。帰国後それらをリンネ植物体系によって分類・命名し、日本の植物学の基礎を築いた。著に「日本植物誌」など。(一七四三‐一八二八

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ツンベルク」の意味・わかりやすい解説

ツンベルク
つんべるく
Carl Peter Thunberg
(1743―1828)

スウェーデンの博物学者。スウェーデンのイェンケピングに生まれる。1761年ウプサラ大学に入学、医学と博物学を学ぶ。リンネの指導を受け、1770年医学博士となる。同年デンマークを経てアムステルダム、さらにパリに行く。アムステルダムでリンネの旧友ブルマンJohannes Burman(1707―1780)の知遇を得て、喜望峰や日本へ行く機会をつかんだ。1771年12月オランダ東インド会社の外科医としてオランダを出発し、1772年4月にケープ・タウンに着き、1775年3月ケープ・タウンをたち、バタビアジャカルタ)を経て、8月14日長崎に着く。長崎出島に外科医として滞在、1776年(安永5)12月3日長崎を離れる。オランダに着いたのち、ロンドンを経て、1779年スウェーデンに帰国した。1781年ウプサラ大学員外教授、1784年教授、1785年学長となる。

 日本では、植物の採集に努め、1776年には商館長の江戸参府随行、長崎以外の地での採集の機会を得、江戸では、桂川甫周(かつらがわほしゅう)、中川淳庵(じゅんあん)たちと医学や博物学の知識を交換しあった。帰国後『日本植物誌』Flora Japonica(1784)、『日本動物誌』Fauna Japonica(1822~1823)、『喜望峰植物誌』Flora Capensis(1804~1823)などの博物誌、『ヨーロッパ・アジア・アフリカ紀行』Resa uti Europa, Africa, Asia, förråttad Åren 1770―1779(1788~1793)の旅行記を出版した。

[矢部一郎]

『山田珠樹訳注『ツンベルグ日本紀行』(1928・駿南社/オンデマンド版・2005・雄松堂出版)』『『ツュンベリー研究資料』(1953・日本学術会議・日本植物学会)』『木村陽二郎著『日本自然誌の成立』(1974・中央公論社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツンベルク」の意味・わかりやすい解説

ツンベルク

「トゥーンベリ」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android