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角田城 かくだじょう

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日本の城がわかる事典の解説

かくだじょう【角田城】

宮城県角田市にあった戦国時代の平城(ひらじろ)で、江戸時代には仙台藩21要害の一つとされた。阿武隈川西岸に突き出した丘陵の先端に位置し、大沼、赤沼という2つの沼を天然の堀としていた。沼は現在は水田となっており、現存しない。永禄年間(1558~69年)に伊達氏一門で家臣の田手(たて)宗光が、平安時代末の永承年間(1046~53年)に伊具永衡(いぐのながひら)の館があったとされる場所に築いた城である。その後、この城は伊達氏と相馬氏の争奪戦の対象となり、宗光が相馬氏に通じて伊達氏に反旗を翻したことにより、相馬氏側の城となったが、1584年(天正12)に伊達輝宗(伊達政宗の父)が奪還し、宗光の離反後も伊達氏側についていた宗光の子宗時を城主とした。その後宗時は戦死したため、天正年間(1573~92年)には伊達成実(しげざね)が城主となり、1598年(慶長3)には、伊達政宗の叔父石川昭光の居城となった。この時に、城の大改修が行われている。以後、角田城は石川氏代々の居城として明治維新を迎えた。明治維新で幕府側についた盛岡藩南部氏が減封のうえ白石(しろいし)藩に移封されたが、その際、この角田城も南部氏の管理する要害となっている。廃藩置県後は、1872年(明治4)に、この一帯が仙台県に編入されるまで、この城に角田県庁が置かれた。現在、本丸跡は角田高校、二の丸跡は角田中学校の敷地となっており、土塁や用水堀として使われている堀などが残っている。また、高校入り口付近に「角田城跡」の石碑が建っている。阿武隈急行線の角田駅(仙台からJR東北本線で槻木(つきのき)乗り換え)から徒歩約15分。◇角田要害(江戸時代)、臥牛城、金鶏館とも呼ばれる

出典|講談社
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