日本の城がわかる事典 「角館城」の解説 かくのだてじょう【角館城】 秋田県仙北市(旧角館町)にあった戦国時代の山城(やまじろ)。現在、国の重要伝統的建造物群保存地区となっている角館の武家屋敷町の北側に位置する標高166mの独立丘陵上にあった。築城年代、築城者ははっきりしないが、秋田氏(安東氏)や小野寺氏と戦いながら勢力を拡大した出羽国の戦国大名で、江戸時代に新庄藩主となった戸沢氏が本拠としていた城である。『戸沢家譜』によれば、戸沢氏は1424年(応永31)に門屋城から、この城に本拠を移したとされる(ただし、諸説ある)。戸沢氏は領地を守り抜き、戦国末期には織田信長や豊臣秀吉と誼を通じて領国経営を安定させた。戸沢氏は関ヶ原の戦いでは東軍方だったが、1602年(慶長7)に減封の上、常陸国松岡へ国替えとなった。代わりに角館に入ったのが佐竹氏の一族の蘆名義広(盛重)である。その後、1615年(元和1)に一国一城令が発令されたが、これに伴い、角館城は1620年(元和6)に城郭が破却された。このため蘆名氏は城山の麓に屋敷を構え、その防衛のため、今日残る角館城下の町割を整備したといわれる。その後、蘆名氏が断絶したことから、1656年(明暦2)に紫島城(むらさきしまじょう)(大仙市長野)の佐竹義隣(佐竹北家)が角館に入部し、以後、明治維新まで佐竹北家がこの一帯を治めた。城跡は現在、古城山公園として整備されており、主郭をはじめとする郭跡の平場が残っている。なお、この公園は角館の街並みを一望できる桜の名所として知られている。JR田沢湖線角館駅から徒歩約30分。◇小松山城とも呼ばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報