日本大百科全書(ニッポニカ) 「解州」の意味・わかりやすい解説
解州
かいしゅう / チエチョウ
中国、山西(さんせい)省南西部、運城(うんじょう)市塩湖(えんこ)区にある鎮。人口4万7000(2011)。かつてはここに解県が置かれ、五代より清(しん)まで解州の治所であった。1958年、安邑(あんゆう)県と解県が合併し運城県が生まれ、1983年運城市に昇格した。解州は歴史的には解州塩とよばれる解池からとれる岩塩で知られ、その採取は殷(いん)・周時代から始まる。その後も海岸地帯での製塩が盛んになるまで、国内で第一の産地で、この地域の領有は経済的、政治的に大きな意味をもった。『三国志演義』で有名な関羽(かんう)はここの生まれで、関帝廟(かんていびょう)の祖廟がある。中国各地に点在する関帝廟のうち、同地のものがもっとも面積が広い。
[秋山元秀・編集部 2017年10月19日]