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関羽 かんう Guan Yu; Kuan Yü

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

関羽
かんう
Guan Yu; Kuan Yü

[生]?
[没]建安24(219)
中国,三国時代の蜀漢の武将。河東 (山西省) の人。字は雲長。劉備に従い,張飛とともにその経営を助けた。かつて曹操に捕えられたが,厚遇された。彼は袁紹の部将顔良を斬って曹操の恩に報いたのち,劉備のもとに帰った。

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デジタル大辞泉の解説

かん‐う〔クワン‐〕【関羽】

[?~219]中国、三国時代蜀(しょく)の武将。河東(山西省)の人。字(あざな)は雲長。張飛とともに劉備(りゅうび)を助け、赤壁の戦いに大功をたてたが、のちに捕らえられて死んだ。後世、軍神として各地の関帝廟(かんていびょう)に祭られた。
歌舞伎十八番の一。藤本斗文作。元文2年(1737)江戸河原崎座の「閏月仁景清(うるうづきににんかげきよ)」一番目大詰めで2世市川団十郎が初演。現在、脚本は廃滅。

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百科事典マイペディアの解説

関羽【かんう】

中国,三国時代(しょく)の武将。字は雲長。張飛とともに劉備に仕え,勇名をはせる。魏を攻撃中,呉軍に背後をつかれ謀殺された。後世,神格化され関帝と呼ばれ,軍神,財神としてまつられ,関帝廟として民衆の信仰があつい。

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世界大百科事典 第2版の解説

かんう【関羽 Guān Yǔ】

?‐219
中国,三国蜀(しよく)の建設者である劉備(りゆうび)に協力した勇将。字は雲長。郷里から逃げて,涿県(たくけん)(北京市南西)にいた劉備の部下となり,同僚の張飛とともにこれを護衛して,後漢末の群雄割拠する中を各地に転戦した。劉備は彼らを兄弟のように遇し,関羽らは恩義に感じて身命をなげうつ。200年(建安5),劉備が曹操に敗れたとき,関羽は捕らわれたが,曹操の礼遇を受けると,今度は曹操の大敵袁紹(えんしよう)の部将を討ちとって恩義を返し,そのまま再び劉備のもとに帰って献身する。

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大辞林 第三版の解説

かんう【関羽】

○?~219) 中国三国時代、蜀漢の武将。字あざなは雲長。劉備りゆうびを助けて功があった。後世、武神・商神として関帝廟にまつられた。
歌舞伎十八番の一。藤本斗文とぶん作。1737年河原崎座にて二世市川団十郎が「閏月仁景清うるおいづきににんかげきよ」の大詰めで初演。景清が中国の英雄関羽または張飛の姿で荒事を見せるもの。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

関羽
かんう
(?―219)

中国、三国蜀(しょく)の武将。河東解(山西省臨晋(りんしん)県)の人。字(あざな)は雲長。諡(おくりな)は忠義侯。解には塩池があるから、塩業関係の仕事に従事していたのかもしれない。亡命して(たく)郡(河北省)にきて、劉備(りゅうび)や張飛(ちょうひ)と知り合った。桃園で3人が義兄弟の約束を結んだことが小説『三国志演義』にみえるが、それに近いことはあったろう。劉備が起兵すると羽も参加し、寝食をともにした。200年、曹操(そうそう)と劉備が戦い、備は敗れ、羽は操に捕らえられた。操は羽を礼遇して帰順を勧めたが、羽は操と袁紹(えんしょう)との戦いに、紹の将である顔良の首を斬(き)って、これを置き土産(みやげ)に備の所に帰った。やがて備とともに荊州(けいしゅう)に赴き、曹操が南下してくると、ここを逃れたが、ついで起こった赤壁(せきへき)の戦い(208)では、水戦で敗れた操の軍を陸上に待ち受けて撃ち破った。劉備が諸葛亮(しょかつりょう)や張飛らと蜀に入ったのちも、彼は荊州の留守(りゅうしゅ)を命ぜられ、江陵を基地とした。219年、劉備が漢中王になったのを機に、北上して曹操の部将である曹仁を攻めて樊城(はんじょう)(河南省襄樊(じょうはん)市)を囲んだ。しかし、荊州領有をもくろむ孫権(そんけん)が、操と同盟して背後を襲ったので、樊城陥落を目前に南に引き揚げたが、ついに臨沮(りんしょ)(湖北省南(なんしょう)県)において、子の関平とともに戦死した。
 関羽は美しい髯(ひげ)の持ち主で、諸葛亮も彼を髯の愛称でよんだ。また彼は武勇に優れていたばかりでなく、好んで『春秋左氏伝』を読んだ。しかし人を見下すことがあり、人の恨みを買うこともあった。死後、軍神、財神として祀(まつ)られている。[狩野直
『宮川尚志著『諸葛亮』(1940・冨山房) ▽狩野直著『諸葛孔明』(1966・新人物往来社)』

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世界大百科事典内の関羽の言及

【漢水】より

…古くから中原と江漢平原を結ぶ重要な交通路であったが,水勢が激しいため,沿岸には襄陽の樊城など軍事的に要害の地がある。樊城は漢の建安年間(196‐219)に関羽が漢水の急流を利用して立てこもる于禁を撃破した古戦場として有名である。また上流部は秦の漢中郡で,劉邦は秦を滅ぼした後,漢中王としてこの地に封じられた。…

【関帝廟】より

…中国,三国蜀の武将,関羽をまつった廟。関帝信仰は唐代にはじまるが,まず軍神として各地でまつられるようになり,やがて文廟の孔子に対して,武廟の主神となった。…

【財神】より

…行商するものが旅の安全と各地からの招財を祈った〈五路神〉に源流するらしく,また盗賊神とも関係するとみられる。 〈武財神〉とよばれる〈関帝〉,〈文財神〉と称される〈比干〉は,それぞれ蜀漢の勇将関羽と殷の紂王の忠臣比干を神格化したもので,関帝はもともと武神であった。財神は特に商家で尊崇され,なかでも関帝は,霊験あらたかな神として祭祀される(関帝廟)。…

【ひげ(髭∥鬚∥髯)】より

…これに対して古代中国には,巨人盤古の死後に髪や髭から星を生じた話や,《列仙伝》や《神仙伝》に登場する多くの超人たちがみごとなひげをもって描かれていることなどがあるばかりではない。《三国志》の英雄もみなひげを蓄えており,なかでも孫権の高貴な紫髯と関羽の美髯が際だっている。〈羽美鬚髯,故亮謂之髯。…

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