中国、三国蜀(しょく)の武将。河東解(山西省臨晋(りんしん)県)の人。字(あざな)は雲長。諡(おくりな)は忠義侯。解には塩池があるから、塩業関係の仕事に従事していたのかもしれない。亡命して涿(たく)郡(河北省)にきて、劉備(りゅうび)や張飛(ちょうひ)と知り合った。桃園で3人が義兄弟の約束を結んだことが小説『三国志演義』にみえるが、それに近いことはあったろう。劉備が起兵すると羽も参加し、寝食をともにした。200年、曹操(そうそう)と劉備が戦い、備は敗れ、羽は操に捕らえられた。操は羽を礼遇して帰順を勧めたが、羽は操と袁紹(えんしょう)との戦いに、紹の将である顔良の首を斬(き)って、これを置き土産(みやげ)に備の所に帰った。やがて備とともに荊州(けいしゅう)に赴き、曹操が南下してくると、ここを逃れたが、ついで起こった赤壁(せきへき)の戦い(208)では、水戦で敗れた操の軍を陸上に待ち受けて撃ち破った。劉備が諸葛亮(しょかつりょう)や張飛らと蜀に入ったのちも、彼は荊州の留守(りゅうしゅ)を命ぜられ、江陵を基地とした。219年、劉備が漢中王になったのを機に、北上して曹操の部将である曹仁を攻めて樊城(はんじょう)(河南省襄樊(じょうはん)市)を囲んだ。しかし、荊州領有をもくろむ孫権(そんけん)が、操と同盟して背後を襲ったので、樊城陥落を目前に南に引き揚げたが、ついに臨沮(りんしょ)(湖北省南漳(なんしょう)県)において、子の関平とともに戦死した。
関羽は美しい髯(ひげ)の持ち主で、諸葛亮も彼を髯の愛称でよんだ。また彼は武勇に優れていたばかりでなく、好んで『春秋左氏伝』を読んだ。しかし人を見下すことがあり、人の恨みを買うこともあった。死後、軍神、財神として祀(まつ)られている。
[狩野直禎]
『宮川尚志著『諸葛亮』(1940・冨山房)』▽『狩野直禎著『諸葛孔明』(1966・新人物往来社)』
中国,三国蜀(しよく)の建設者である劉備(りゆうび)に協力した勇将。字は雲長。郷里から逃げて,涿県(たくけん)(北京市南西)にいた劉備の部下となり,同僚の張飛とともにこれを護衛して,後漢末の群雄割拠する中を各地に転戦した。劉備は彼らを兄弟のように遇し,関羽らは恩義に感じて身命をなげうつ。200年(建安5),劉備が曹操に敗れたとき,関羽は捕らわれたが,曹操の礼遇を受けると,今度は曹操の大敵袁紹(えんしよう)の部将を討ちとって恩義を返し,そのまま再び劉備のもとに帰って献身する。208年,赤壁(せきへき)の戦では孫権の軍と連合して曹操の南下をはばみ,劉備が益州(四川省)を攻略してそこに蜀国を建てるための基礎を築いたあと,荆州(けいしゆう)(湖北省江陵県)にふみとどまって蜀の東方防衛に当たり,一時は北方に進出して曹操の心胆を寒からしめたが,219年,魏・呉両軍の挟撃にあって戦死した。その俠気と武勇は,以後長く民衆の尊敬を集めている。
→関帝廟 →三国演義
執筆者:川勝 義雄
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?~219
三国蜀(しょく)の武将。河東解(かい)(山西省運城)の人。張飛(ちょうひ)とともに劉備(りゅうび)に従い,赤壁の戦いで軍功を立て蜀の建国に貢献した。のち呉に捕まって殺された。義勇の人として知られる。『三国志通俗演義』の中心的人物として大衆的な人気を博し,関帝として廟に祀られた。現在,大陸や台湾のみならず横浜中華街をはじめとする海外の華僑(かきょう)・華人のなかでも,広く信仰を受けている。
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…古くから中原と江漢平原を結ぶ重要な交通路であったが,水勢が激しいため,沿岸には襄陽の樊城など軍事的に要害の地がある。樊城は漢の建安年間(196‐219)に関羽が漢水の急流を利用して立てこもる于禁を撃破した古戦場として有名である。また上流部は秦の漢中郡で,劉邦は秦を滅ぼした後,漢中王としてこの地に封じられた。…
…中国,三国蜀の武将,関羽をまつった廟。関帝信仰は唐代にはじまるが,まず軍神として各地でまつられるようになり,やがて文廟の孔子に対して,武廟の主神となった。…
…行商するものが旅の安全と各地からの招財を祈った〈五路神〉に源流するらしく,また盗賊神とも関係するとみられる。 〈武財神〉とよばれる〈関帝〉,〈文財神〉と称される〈比干〉は,それぞれ蜀漢の勇将関羽と殷の紂王の忠臣比干を神格化したもので,関帝はもともと武神であった。財神は特に商家で尊崇され,なかでも関帝は,霊験あらたかな神として祭祀される(関帝廟)。…
…これに対して古代中国には,巨人盤古の死後に髪や髭から星を生じた話や,《列仙伝》や《神仙伝》に登場する多くの超人たちがみごとなひげをもって描かれていることなどがあるばかりではない。《三国志》の英雄もみなひげを蓄えており,なかでも孫権の高貴な紫髯と関羽の美髯が際だっている。〈羽美鬚髯,故亮謂之髯。…
※「関羽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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