誠心院(読み)じようしんいん

日本歴史地名大系 「誠心院」の解説

誠心院
じようしんいん

[現在地名]中京区中筋町

新京極しんきようごく通の東側、誓願せいがん寺南にあり、華岳山と号し、真言宗泉涌寺派。本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、藤原道長がその女上東門院彰子に仕えていた和泉式部のために、東京極今出川いまでがわ南にあった東北とうほく院の一隅に一庵小御堂を結び与えたのが始まりという(貞徳百人一首頭書)。和泉式部は越前守大江雅致の女。和歌に優れ和泉守橘道貞の妻となり、道貞没後は上東門院に仕えたが、再嫁して丹後守藤原保昌の妻となる。老後は尼となってこの小御堂に過ごしたといわれる。寺名も彼女の法名誠心院に由来すると伝える(坊目誌)。のち一条小川おがわ(現上京区)の地に移転、誓願寺内にあったらしく、応仁の乱以後の状態を描くとされる中昔京師地図には、下小川西の北小路の地に「誓願寺ノ地、大念寺・誠心寺トモニ界内」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の誠心院の言及

【和泉式部】より

…このように式部の名が広く知られるようになる背後には,式部の生涯を語る唱導の女性たちがあったらしく,式部の誕生地と伝える所は岩手県から佐賀県まで数十ヵ所に及び,墓の数もそれに劣らない。墓所の一つ京都市中京区の誠心(じようしん)院は,唱導の徒の拠点であった。各地に伝えられる式部の伝説には,瘡(かさ)を病んだ式部が,日向国の法華岳寺の薬師如来に平癒を祈ったが,いっこうに効験がないので〈南無薬師諸病悉除の願立てて身より仏の名こそ惜しけれ〉と詠むと,夢の中に〈村雨はただひと時のものぞかし己が身のかさそこに脱ぎおけ〉という返歌があって,難病もたちまちに平癒したという話や,アユ(鮎)の腸を意味する〈うるか〉ということばを,たくみに詠みこんださまざまな秀歌を作ったという話など,歌にまつわるものが多く,中には小野小町や西行の伝説と同じ内容のものもある。…

※「誠心院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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