20世紀日本人名事典 「諏訪博」の解説
諏訪 博
スワ ヒロシ
昭和・平成期のテレビディレクター 元・東京放送社長。
- 生年
- 大正4(1915)年6月11日
- 没年
- 平成1(1989)年12月9日
- 出生地
- 北海道小樽市
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾大学経済学部卒
- 主な受賞名〔年〕
- 勲二等旭日重光章〔昭和60年〕,マスコミ功労者顕彰〔平成3年〕
- 経歴
- 国際電気通信社、ラジオ日本創立事務局を経て、昭和26年ラジオ東京(現・東京放送)に入社。ラジオ編成部長、テレビ演出部長、テレビ営業局長、常務を経て、44年社長、52年会長。58年には取締役相談役になるが、61年再び会長に。平成元年6月取締役特別顧問。「私は貝になりたい」の演出、キャスターによるニュース番組「ニュースコープ」の開始などを手がけ、報道番組とドラマを二枚看板に視聴率競争に強みを発揮し、“TBSのドン”“民放界の帝王”といわれた。広告契約の「個別セールス」方式開発、大阪ネットワーク局の朝日から毎日への変更などテレビ局の経営近代化に大きな功績を残した。晩年は放送番組センター会長として、番組保存に力を注いだ。著書に「一葦の記―私の民放営業三十年」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報