デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷村楯八」の解説
谷村楯八(初代) たにむら-たてはち
はじめ亀谷竹八を名のり,宝暦6年(1756)ごろより大坂亀谷肥後掾(ひごのじょう)座に出演。13年谷村楯八と改名。実悪(じつあく)の巧者として浜芝居,宮地(みやち)芝居で活躍。弟子に2代大谷友右衛門。天明(1781-89)の末ごろに死去したという。俳名は我白。屋号は亀屋。
谷村楯八(2代) たにむら-たてはち
初代谷村楯八の子。初名は谷村菊松。天明(1781-89)の末ごろ2代を襲名。のち三枡光五郎,2代尾上新七らとならんで大坂の浜芝居などで活躍。和実(わじつ)の役柄を得意とした。俳名は我白。屋号は亀屋。