20世紀日本人名事典 「谷田文衛」の解説 谷田 文衛タニダ フミエ 明治期の陸軍中将 生年安政2年8月9日(1855年) 没年昭和5(1930)年5月5日 出身地阿波国(徳島県) 学歴〔年〕陸大卒 経歴徳島藩士の長男に生まれる。明治6年大阪鎮台守備となり、7年台湾出兵に従軍。10年西南戦争の際には熊本城にたてこもり西郷軍の攻撃から守り、11年陸軍少尉となる。陸軍大学校を卒業後、参謀本部付となり、陸軍中央幼年学校長、35年歩兵第20旅団長、36年台湾総督府陸軍幕僚参謀長、40年歩兵第10・第22旅団長などを歴任。42年中将となり憲兵司令官を務める。この間、日清戦争・日露戦争・日独戦争などに参加し、明治維新以来の参戦武官の長老であった。大正5年待命となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷田文衛」の解説 谷田文衛 たにだ-ふみえ 1855-1930 明治時代の軍人。安政2年8月9日生まれ。大阪鎮台守備となり,西南戦争では熊本城にたてこもる。陸軍中央幼年学校長,台湾総督府陸軍幕僚参謀長,憲兵司令官などを歴任。明治42年陸軍中将。昭和5年5月5日死去。76歳。阿波(あわ)(徳島県)出身。陸軍大学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by