谷田部藩陣屋跡(読み)やたべはんじんやあと

日本歴史地名大系 「谷田部藩陣屋跡」の解説

谷田部藩陣屋跡
やたべはんじんやあと

[現在地名]谷田部町谷田部 内町

谷田部城跡北方の低地に所在。「寛政重修諸家譜」などによれば下野茂木藩一万石余の領主細川興元は元和二年(一六一六)に河内・筑波二郡で六千二〇〇石余の加増を受け、谷田部の地はこの時から廃藩置県に至るまで細川氏領として経過している。同四年に藩庁は茂木もてぎ陣屋から谷田部陣屋に移され、谷田部藩が成立。明治二年(一八六九)再度藩庁は茂木陣屋に移り、茂木藩となった。藩主は興元・興昌・興隆・興栄・興虎・興晴・興徳・興建・興貫と相承され、三代以降は谷田部に在陣し、興貫が茂木で廃藩置県を迎えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む