日本歴史地名大系 「谷畠村」の解説 谷畠村たんばくむら 福井県:坂井郡芦原町谷畠村[現在地名]芦原町谷畠金津(かなづ)宿(現金津町)の西方、竹田(たけだ)川南岸の自然堤防上に位置する。正保の越前国絵図では、当村のすぐ北方を、金津宿と三国(みくに)湊(現三国町)を結ぶ道路が通っている。当村は八世紀頃の奈良東大寺領溝江(みぞえ)庄の荘域に属したともいわれる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では本庄(ほんじよう)郷に含まれる。同六年結城秀康が多賀谷三経に与えた知行宛行状(多賀谷文書)に谷畠村(四九〇・六四七石)がみえ、寛永二年(一六二五)松平忠昌が多賀谷安芸守に与えた知行宛行状(同文書)にも当村のうち二七〇・三五石が含まれている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by