日本歴史地名大系 「金津宿」の解説
金津宿
かなづしゆく
奥州街道の
金津宿
かなづしゆく
北陸街道と
とあり、室町時代すでに金津宿とよばれている。また当時朝倉氏の支城もあり、加越交通の要衝として町並が形成されていた。「大乗院寺社雑事記」文明一二年四月七日条には朝倉氏と甲斐氏の合戦に際して、「金津町屋ハ焼了、其外ハ
江戸時代には南金津宿(浅田与次右衛門)・北金津宿(黒坂源助)それぞれ一人ずつの宿問屋がおり、三〇匹の役馬(新町三匹・南金津一二匹・北金津一五匹)が義務づけられていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報