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松平忠昌 まつだいら ただまさ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松平忠昌 まつだいら-ただまさ

1598*-1645 江戸時代前期の大名。
慶長2年12月14日生まれ。結城秀康(ゆうき-ひでやす)の次男。徳川家康の孫。慶長12年11歳で上総(かずさ)姉崎(あねがさき)に1万石を領す。常陸(ひたち)下妻(しもつま)藩,信濃(しなの)松代(まつしろ)藩,越後(えちご)高田藩とうつる。寛永元年兄忠直(ただなお)改易(かいえき)後の越前(えちぜん)北庄(きたのしょう)藩50万石にはいり,越前松平家を復興。同年北庄を福居(福井)とあらためた。藩法を整備し,武芸者をあつめて福井藩武芸十二法の基礎をつくる。正保(しょうほ)2年8月1日死去。49歳。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

松平忠昌

没年:正保2.8.1(1645.9.20)
生年:慶長2.12.14(1598.1.21)
江戸時代初期の大名,越前国福井藩(福井市)藩主。結城秀康の次男,母は家臣中川一茂の妹岡山(清涼院),松平忠直の弟,幼名虎松,虎之助。慶長12(1607)年上総国姉崎で1万石を与えられる。元和1(1615)年元服して忠昌と称し,伊予守。同年常陸国下妻3万石,翌年信濃国川中島に12万石,同4年越後国高田25万石と繰り返し移ったあと,寛永1(1624)年50万5000石余で越前国に入封。このとき 北庄 を福居(17世紀末福井に)に改めたという。同年弟3人も越前各地の大名となった。入封後ただちに家中,町在へ掟書を発して法制を整え,吉田郡北野新田1175石を開発し交通制度もいっそう整備した。のち2万石加増され,幕府領3万5000石も預かっている。福居には本多富正以下先代藩主忠直家臣の多くが残されていたので,補佐を得ることができた。それら家臣を評して『越州御代規録』に「頼むへし本多丹波(富正)に壱岐(杉田三正)如来鬼か志摩(永見吉次)なる伊勢(狛孝澄)海老のつら」とある。

(隼田嘉彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の松平忠昌の言及

【松平氏】より

…中世後期の三河国の有力武士で,惣領家は1566年(永禄9)徳川と改姓して江戸時代の将軍家となり,一族は大名,旗本となった(図)。
[松平氏の発祥]
 江戸幕府公認の松平氏発祥譚では,清和源氏新田氏の庶家徳川氏の末裔は,足利氏の迫害のため,本貫の地上野国新田郡徳川郷を退去して時宗の僧となって諸国を流浪し,親氏(ちかうじ)の代に三河国加茂郡松平郷の土豪松平氏の娘婿となったのが,源姓松平氏のはじまりで,9代の後裔家康の代に〈復姓〉したという。…

※「松平忠昌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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