朝日日本歴史人物事典 「松平忠昌」の解説
松平忠昌
生年:慶長2.12.14(1598.1.21)
江戸時代初期の大名,越前国福井藩(福井市)藩主。結城秀康の次男,母は家臣中川一茂の妹岡山(清涼院),松平忠直の弟,幼名虎松,虎之助。慶長12(1607)年上総国姉崎で1万石を与えられる。元和1(1615)年元服して忠昌と称し,伊予守。同年常陸国下妻3万石,翌年信濃国川中島に12万石,同4年越後国高田25万石と繰り返し移ったあと,寛永1(1624)年50万5000石余で越前国に入封。このとき 北庄 を福居(17世紀末福井に)に改めたという。同年弟3人も越前各地の大名となった。入封後ただちに家中,町在へ掟書を発して法制を整え,吉田郡北野新田1175石を開発し交通制度もいっそう整備した。のち2万石加増され,幕府領3万5000石も預かっている。福居には本多富正以下先代藩主忠直家臣の多くが残されていたので,補佐を得ることができた。それら家臣を評して『越州御代規録』に「頼むへし本多丹波(富正)に壱岐(杉田三正)如来鬼か志摩(永見吉次)なる伊勢(狛孝澄)海老のつら」とある。
(隼田嘉彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報