松平忠昌(読み)まつだいら ただまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松平忠昌」の解説

松平忠昌 まつだいら-ただまさ

1598*-1645 江戸時代前期の大名
慶長2年12月14日生まれ。結城秀康(ゆうき-ひでやす)の次男。徳川家康の孫。慶長12年11歳で上総(かずさ)姉崎(あねがさき)に1万石を領す。常陸(ひたち)下妻(しもつま)藩,信濃(しなの)松代(まつしろ)藩,越後(えちご)高田藩とうつる。寛永元年兄忠直(ただなお)改易(かいえき)後の越前(えちぜん)北庄(きたのしょう)藩50万石にはいり,越前松平家を復興。同年北庄を福居(福井)とあらためた。藩法を整備し,武芸者をあつめて福井藩武芸十二法の基礎をつくる。正保(しょうほ)2年8月1日死去。49歳。

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367日誕生日大事典 「松平忠昌」の解説

松平忠昌 (まつだいらただまさ)

生年月日:1597年12月14日
江戸時代前期の大名
1645年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松平忠昌の言及

【松平氏】より

…中世後期の三河国の有力武士で,惣領家は1566年(永禄9)徳川と改姓して江戸時代の将軍家となり,一族は大名,旗本となった(図)。
[松平氏の発祥]
 江戸幕府公認の松平氏発祥譚では,清和源氏新田氏の庶家徳川氏の末裔は,足利氏の迫害のため,本貫の地上野国新田郡徳川郷を退去して時宗の僧となって諸国を流浪し,親氏(ちかうじ)の代に三河国加茂郡松平郷の土豪松平氏の娘婿となったのが,源姓松平氏のはじまりで,9代の後裔家康の代に〈復姓〉したという。…

※「松平忠昌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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