谷稲葉村(読み)やいなばむら

日本歴史地名大系 「谷稲葉村」の解説

谷稲葉村
やいなばむら

[現在地名]藤枝市谷稲葉

瀬戸せと川の支流大沢おおさわ(谷稲葉川)谷間に位置し、周囲を山に囲まれる。北西から南東に長く、上組と下組に分れる。東は稲葉堀之内いなばほりのうち村。同村を経て瀬戸川を渡り藤枝宿に至る道が通り、南西へ向かうと山越えして東光寺とうこうじ(現島田市)から峠を経て島田宿に至る。この道は慶長九年(一六〇四)の大洪水後、数年間東海道として使用され、近世東海道成立以前の古道ともいう(駿河志料)志太しだ郡に属する。天正一七年(一五八九)七月七日の徳川家七ヵ条定書(伊久美家文書)の宛所に「やいなは村」とみえる。慶長四年六月、横田村詮志駄しだ郡谷稲葉惣百姓中に毛付に対し六ツ半の免合とするなどの法度を発給している(「横田村詮法度」佐藤家文書)。同九年八月の志太郡谷稲葉村検地(伊久美家文書)では反別三八町二反余・分米四四一石余。寛永一二年(一六三五)の山西領水野監物知行渡村之帳では高四五四石余、田中藩領。同一九年幕府領となる(同年田中領郷村高帳・「寛文朱印留」など)。元禄一一年(一六九八)再び田中藩(太田氏)領となる(同年「年貢割付状」伊久美家文書、国立史料館本元禄郷帳など)。宝永二年(一七〇五)田中藩主は内藤氏に替わるが引続き田中藩領で、正徳二年(一七一二)内藤氏が大坂城代となると大坂城代内藤氏領となる(宝永二年「年貢割付状」・正徳三年「年貢割付状」伊久美家文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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