日本歴史地名大系 「藤枝市」の解説 藤枝市ふじえだし 面積:一四〇・七四平方キロ県のほぼ中央部に位置し、市域は南アルプスの南端部と大井川の沖積によって形成された扇状地の北側部分に立地する。北部の山稜地は標高八七一メートルの高根(たかね)山を主軸として西に菩提(ぼだい)山(六七七・三メートル)、東にびく石の連山が連なり、これらの稜線を境として静岡市・榛原(はいばら)郡川根(かわね)町・島田市・志太(しだ)郡岡部(おかべ)町と接している。これらの山稜から南流する瀬戸(せと)川と葉梨(はなし)川は狭い谷底地形をつくり、川に沿って集落が点在し瀬戸(せと)ノ谷(や)地区・葉梨地区を形成している。平野部は北東を岡部町、南東を焼津市、南を志太郡大井川町、西を島田市と境し、南端の一部を大井川が東流する。市街地は山稜の末端部と平野部が接した所に形成され、標高は約一〇―二五メートル。国道一号が丘陵の末端部をかすめるように市域を横断しており、ほぼ旧東海道に沿っている。瀬戸川に沿った旧瀬戸谷(せとのや)街道、葉梨川に沿った旧葉梨街道が旧東海道と交わる周辺が市街地にあたる。〔原始〕旧石器時代の遺物は瀬戸新屋(せとあらや)の天(あま)ヶ谷(や)遺跡で長野県和田(わだ)峠産の黒曜石を使った石器が検出された。同遺跡ではほかに縄文時代早期末から後期にかけての遺物が検出されたが、二次堆積層のため遺構は確認されなかった。縄文時代の遺跡はおもに瀬戸川流域の丘陵斜面や河岸段丘上で発見された。縄文中期のインノ山(やま)・舟(ふな)ヶ久保(くぼ)遺跡は瀬戸川源流部の瀬戸ノ谷地区にあり、標高五五〇―六〇〇メートルの丘陵斜面に立地している。約六・五キロ下流の中里(なかざと)地区の遺跡からは早期・中期・後期の土器・石器が採集されている。さらに下流の支流滝沢(たきさわ)川との合流地点から寺島(てらじま)地区にかけての遺跡では中期・後期・晩期、さらに弥生土器片も採集されている。下流の瀬古(せこ)・南新屋(みなみあらや)地区では縄文時代の遺物は弥生時代・古墳時代・律令期などの遺物に混じって少量発見される場合が多いが、萩(はぎ)ヶ谷(や)遺跡(青島北中学校西側)では唯一縄文中期の竪穴住居跡が発見されている。弥生時代の遺跡は瀬戸川流域では谷口部両側の低丘陵上に小規模な遺構が散在している。とくに集中しているのは葉梨川流域と潮(うしお)山裾部で、上薮田(かみやぶた)遺跡・下薮田遺跡を中心に弥生中期から律令期まで水田や集落が営まれていたと思われる。また郡(こおり)遺跡や平島(ひらしま)遺跡では弥生中期から中世まで引続き水田耕作が安定的に営まれ、律令期の益頭(ましず)郡衙が置かれる基盤となっていった。古墳時代前期の古墳としては時(とき)ヶ谷(や)の五鬼免(ごきめん)一号墳・同二号墳、南新屋の秋合(あきあわせ)二号墳・同一一号墳があった。 藤枝市ふじえだし 2009年1月1日:藤枝市が志太郡岡部町を編入⇒【岡部町】静岡県:志太郡⇒【藤枝市】静岡県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤枝市」の意味・わかりやすい解説 藤枝〔市〕ふじえだ 静岡県中部,安倍山地の南部にある市。市域中央部を瀬戸川が貫流し,南部は大井川の下流左岸に接する。1954年藤枝町,青島町の 2町と葉梨村,高洲村,大洲村,稲葉村の 4村が合体して市制。1955年瀬戸谷村,1957年広幡村の大部分,2009年岡部町を編入。江戸時代には田中城の城下町,および東海道の宿場町として繁栄。中心市街地の藤枝は瀬戸川の流域にあり,伝統的な手工業による建具,家具の製造が行なわれ,木工団地がある。地下水が豊富で化学工場も立地する。市街地の北部は静岡市のベッドタウン化が進む。周辺農村部ではシイタケ,チャ(茶),ミカン,イチゴなどの栽培が行なわれる。志太郡衙跡(国指定史跡)がある。JR東海道本線,国道1号線,藤枝バイパスが通る。面積 194.06km2。人口 14万1342(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by