谷萩那華雄(読み)ヤハギ ナカオ

20世紀日本人名事典 「谷萩那華雄」の解説

谷萩 那華雄
ヤハギ ナカオ

大正・昭和期の陸軍少将



生年
明治28(1895)年8月9日

没年
昭和24(1949)年7月8日

出生地
茨城県

学歴〔年〕
陸士卒,陸大卒

経歴
陸軍大尉から少佐時代、陸軍省新聞班に勤め、日中戦争時は大佐となり北支方面軍特務部付、太原特務機関長、中支派遣軍参謀から昭和17年3月大本営陸軍報道部長。18年少将、第15独立守備隊長から第25軍参謀長。24年7月8日、戦犯としてインドネシアメダン刑死した。戦時下、東条軍閥の言論弾圧の急先鋒の一人で、陸軍報道部長時代、17年8、9月号の「改造」に掲載された細川嘉六の「世界史の動向と日本」を共産主義の宣伝ときめつけ「改造」は発売禁止、細川は検挙され、後の横浜事件のきっかけとなった。また18年6月「中央公論」の編集が自由主義的であるとして7月号は休刊となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷萩那華雄」の解説

谷萩那華雄 やはぎ-なかお

1895-1949 大正-昭和時代前期の軍人
明治28年8月9日生まれ。中支那派遣軍参謀などをへて,昭和17年大本営陸軍報道部長。「改造」の発禁事件をきっかけに言論統制を強化した。18年少将。19年第二十五軍参謀長。戦犯として昭和24年7月8日インドネシアで刑死。55歳。茨城県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「谷萩那華雄」の解説

谷萩 那華雄 (やはぎ なかお)

生年月日:1895年8月9日
大正時代;昭和時代の陸軍軍人。少将
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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