谷野村(読み)やのむら

日本歴史地名大系 「谷野村」の解説

谷野村
やのむら

[現在地名]八王子市谷野町・みつい台みついだい一―二丁目

谷野川の上流域にあたる。北は丹木たんぎ村・梅坪うめつぼ村、西は大沢おおさわ犬目いぬめ両村に接する。田園簿に谷ノ村とみえ、田二七石余・畑一四石余で幕府領。元禄郷帳では高八五石余。宝永三年(一七〇六)の高反別差出帳(須長家文書)によると、検地は寛文七年(一六六七)で、拝島はいじま領として田六町七反余・分米三五石余、畑屋敷一五町余・分米四七石余。享保六年(一七二一)の山之根村高改帳では谷ノ村として高家前田領四一石余・旗本川村領四一石余。


谷野村
やのむら

[現在地名]深谷市谷之やの

谷ノなどとも記す。小山こやま右岸沖積低地に位置し、東は曲田まがつた村、西は伊勢方いせがた村、南は宿根しゆくね村。村内を中瀬なかぜ道などが通る。深谷領に所属(風土記稿)。戦国期には深谷上杉氏の支配下に置かれ、天正年中(一五七三―九二)上杉氏の四宿老の一人に数えられた矢井伊勢守重家が当地に居住し、伊勢方村を分村したという。田園簿には谷之村とみえ、田方二〇石余・畑方四九石余、幕府領。天保元年(一八三〇)に七〇石余が忍藩領となり(忍藩新領高覚書)幕末に至る。「風土記稿」によると家数一八。


谷野村
やのむら

[現在地名]青梅市谷野

今寺いまでら村の北西大門だいもん村の北に位置する。南東部を流れるかすみ川の低湿地が広がる。慶長一八年(一六一三)二月、新開地の新町しんまち村への入村を求める幕府代官回状(「仁君開村記」吉野家文書)宛先に当村名がみえる。田園簿に谷ノ村とあり、田一三石余・畑四一石余で幕府領。寛文八年(一六六八)の多麻郡三田領谷野村検地帳(青梅市史史料集)がある。元禄郷帳では谷野村として高四七石余。享保六年(一七二一)の山之根村高改帳では幕府領四七石余。「風土記稿」では幕府領、民戸三〇、小名は新谷しんや・東沢など。天保一三年(一八四二)村明細帳(吉野家文書)によれば、反別七町七反余(皆畑)青梅縞を織出していた。


谷野村
たんのむら

[現在地名]飯高町宮本みやもと

栃川とちかわ村の西、櫛田くしだ川の右岸にある。寛永一八年(一六四一)検地帳(徳川林政史蔵)には「谷野栃川村」として記されている。明治二年(一八六九)大指出帳(同蔵)によれば家数二三、人数一一三、産物は煎茶・芋茎・串柿。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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