豊中村(読み)とよなかむら

日本歴史地名大系 「豊中村」の解説

豊中村
とよなかむら

[現在地名]泉大津市豊中・北豊中きたとよなか町一―三丁目・東豊中ひがしとよなか町一―三丁目・池浦いけうら三丁目

南曾根みなみそね村の南東にあり、村域南西隅に集落がある。豊中遺跡古池ふるいけ遺跡・しちつぼ遺跡など、古墳時代以降の集落遺跡が村域で確認されている。和泉五社の一つで式内社である泉穴師いずみあなし神社が鎮座、南東部に和泉国府(現和泉市)を控え、早くから開けた地域であった。中世は山城西芳寺領我孫子あびこ郷のうちであったと考えられる。慶長一〇年(一六〇五)和泉国絵図ではみや池浦穴田あなだつじ長井ながいの諸村とともに「我孫子村」一千二二一石余のうちに含まれた。「和泉志」に「藁蓆我孫子荘出」とみえるように我孫子一帯の特産として莚があり、里謡に「大津縞どころ、我孫子はむしろ、上の石津は布さらす」と歌われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報