東京都中央区築地にある寺。浄土真宗本願寺派の築地別院で、築地本願寺は通称。また築地門跡(もんぜき)ともいう。本願寺第12世准如(じゅんにょ)が1617年(元和3)浅草横山町(いまの日本橋横山町)に坊舎を建立したのに始まる。江戸浅草御堂、のちに浜町御坊とよんで、関(かん)八州ならびに駿河(するが)(静岡県)、甲斐(かい)(山梨県)、伊豆(いず)(静岡県)、陸奥(むつ)(青森・岩手県)、出羽(でわ)(山形・秋田県)の13州の門徒を管掌した。1657年(明暦3)正月、明暦(めいれき)の大火によって罹災(りさい)、現在地に移った。もともと海湾の州渚(しゅうしょ)であったのを佃島(つくだじま)の門徒を中心とする府内の門徒によって埋め立てられたので、築地とよばれることになったという。本堂、書院、太子堂などや子院58坊が造営され、東叡山寛永寺(とうえいざんかんえいじ)、三緑山(さんろくざん)増上寺、浅草本願寺(真宗大谷派、東京別院)とをあわせて両山両寺と称せられ、幕府の優待するところとなった。その後10度にも及ばんとする火災・風災にみまわれたが、そのつど復興された。関東大震災後の1934年(昭和9)には古代インド建築様式を取り入れた鉄筋コンクリート造の本堂を完成させた。境内には画僧酒井抱一(ほういつ)の墓や九条武子(たけこ)歌碑などがある。
[森 章司 2017年4月18日]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…明暦の大火(1657)後,江戸市中の焼土を利用して埋立地として造成されたもので,名称もそこに由来する。浄土真宗本願寺派別院(築地本願寺)が日本橋浜町から移転し,これを中心に江戸時代は備中岡山藩中屋敷や浜御殿(現,浜離宮公園)などの武家地が大半を占めていた。幕末期に軍艦操練所,明治維新後も海軍操練所,海軍大学校がおかれるなど,帝国海軍発祥の地となった。…
※「築地本願寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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