豊竹古靭太夫(読み)トヨタケ コウツボダユウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「豊竹古靭太夫」の解説

豊竹 古靭太夫(初代)
トヨタケ コウツボダユウ


職業
人形浄瑠璃太夫

本名
木村 弥七

別名
前名=豊竹 豆太夫,豊竹 靱小太夫

生年月日
文政10年 1月15日

出生地
大坂(大阪府)

経歴
初代豊竹靱太夫の門弟。初め豆太夫と名乗り靱小太夫を経て、東京で2代目靱太夫を継いだが、大坂で別人が同じ名前を継いだため、明治3年古靱太夫と改名する。5年松島文楽座に出座。古格を守る語り口で2代目竹本越路太夫と人気を二分する。翌6年竹本山四郎座に移る。11年2月土田の席で「葛の葉」をつとめた千秋楽の日、大道具棟梁に斬殺された。

没年月日
明治11年 2月24日 (1878年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「豊竹古靭太夫」の意味・わかりやすい解説

豊竹古靭太夫(1世)
とよたけこうつぼだゆう[いっせい]

[生]文政10(1827)
[没]1878
義太夫節の太夫。1世靭太夫門人。富司太夫が師名を継いだので,それより古いといって古靭と名のった。古格を守った情のある語り口で,くろうとには高く評価されていたが,巡業手違いを根にもった大道具の棟梁に殺された。

豊竹古靭太夫(2世)
とよたけこうつぼだゆう[にせい]

豊竹山城少掾」のページをご覧ください。

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367日誕生日大事典 「豊竹古靭太夫」の解説

豊竹 古靭太夫(初代) (とよたけ こうつぼだゆう)

生年月日:1827年1月15日
江戸時代;明治時代の人形浄瑠璃太夫
1878年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報