20世紀日本人名事典 「財部熊次郎」の解説 財部 熊次郎タカラベ クマジロウ 明治・大正期の新聞経営者 東亜同文会幹事。 生年明治5年4月10日(1872年) 没年大正13(1924)年3月15日 出生地大分県中津町 旧姓(旧名)藤田 学歴〔年〕東京専門学校(現・早稲田大学)卒 経歴大分県中津町の藤田氏に生まれ、長じて鹿児島県人・財部某の養子となった。初め同志社に学ぶ。ついで東京専門学校政治科を卒業し、近衛篤麿の知遇を受け、東亜同文会が設立されると幹事となり、山東山人と号して文筆に長じ機関誌編集を担当、東亜問題などに尽力した。日露戦争後、樺太に赴き「樺太日日新聞」の経営、雑誌の発行に従事した。また同地で伐木事業を経営したが、いずれも失敗に終わり、晩年不遇の中、東京に没した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「財部熊次郎」の解説 財部熊次郎 たからべ-くまじろう 1872-1924 明治-大正時代の新聞経営者。明治5年4月10日生まれ。近衛篤麿の知遇をうけ,東亜同文会の幹事となり,山東山人と号して機関誌編集を担当した。日露戦争後,樺太(からふと)(サハリン)におもむき「樺太日日新聞」の経営,雑誌の発行に従事した。大正13年3月15日死去。53歳。大分県出身。東京専門学校(現早大)卒。旧姓は藤田。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by