賀来龍三郎(読み)カク リュウザブロウ

20世紀日本人名事典 「賀来龍三郎」の解説

賀来 龍三郎
カク リュウザブロウ

昭和・平成期の経営者 キヤノン名誉会長。



生年
大正15(1926)年5月19日

没年
平成13(2001)年6月23日

出生地
愛知県岡崎市田町

出身地
大分県中津市

学歴〔年〕
千葉工業大学工学部中退,九州大学経済学部〔昭和29年〕卒

主な受賞名〔年〕
レジオン・ド・ヌール勲章オフィシエ章〔昭和60年〕,藍綬褒章〔昭和60年〕,国際写真功労者賞〔昭和62年〕,勲二等瑞宝章〔平成10年〕

経歴
20歳で敗戦を迎え、行商代用教員などをしながら、29歳で大学を卒業。昭和29年キヤノンの前身・キヤノンカメラに入社。経理部長を経て、47年取締役、49年常務、52年社長に就任。高収益の会社を目指す優良企業構想やグローバル企業構想を打ち出し、技術力の強化や海外進出による国際化を推進。カメラ中心の光学メーカーだった同社を複写機などの事務機、プリンターなどの情報機器メーカーに脱皮させ、キヤノングループを売上高1兆円を超す企業に育て上げるなど“中興の祖”と呼ばれた。平成元年会長、9年取締役名誉会長、11年取締役に退いた。長年経済同友会副代表幹事を務め、財界活動も積極的に行った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「賀来龍三郎」の意味・わかりやすい解説

賀来龍三郎
かくりゅうざぶろう

[生]1926.5.19. 大分
[没]2001.6.23. 東京,大田
経営者。キヤノンの中興の祖といわれた。キヤノンを精密機器の国際的大手に飛躍させて名経営者と称賛され,財界人としては骨っぽい正論を展開して「平成のご意見番」と呼ばれた。九州大学経済学部を卒業し,1954年キヤノンカメラに入社。経理畑を歩み,1972年取締役。常務を経て 1977年に社長。国際化と多角化を推進し,1980年代初頭には高収益体質の基礎を築いた。1989年会長,1997年から名誉会長。会長に退いたあと経済同友会副代表幹事を 6年間務め,異色の財界活動が光った。企業の社会的責任を強調し,官主導から民主導へ,生産者第一主義から生活者重視への転換と,東京一極集中の是正を訴え続けた。歯にきぬ着せず政治に対して苦言を呈し,財界の政治献金は時代遅れと警鐘を鳴らし,「財界の良心」と尊敬された。1985年藍綬褒章,レジオン・ドヌール勲章,1998年勲二等瑞宝章を受章した。

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