朝日日本歴史人物事典 「賀茂光栄」の解説
賀茂光栄
生年:天慶2(939)
平安中期の陰陽家。陰陽頭賀茂保憲の子。父保憲は暦,天文両職を分かち,暦道を子の光栄に,天文道を弟子安倍晴明に伝え,光栄,晴明ともに当代一流の陰陽師となり,ここに陰陽道の賀茂,安倍両宗家の成立をみた。暦博士,播磨権介,大炊頭などを歴任し,従四位上右京権大夫を最後に没した。陰陽師としてのすぐれた活動は記録類に散見し,『権記』寛弘8(1011)年5月9日条には,怪異により一条天皇に攘災法の必要を指摘したが,これが容れられず崩御になったことが記されている。<参考文献>村山修一『日本陰陽道史総説』
(脊古真哉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報