賀茂光栄(読み)かものみつよし

朝日日本歴史人物事典 「賀茂光栄」の解説

賀茂光栄

没年:長和4.6.7(1015.6.25)
生年天慶2(939)
平安中期の陰陽家。陰陽頭賀茂保憲の子。父保憲は暦,天文両職を分かち,暦道を子の光栄に,天文道を弟子安倍晴明に伝え,光栄,晴明ともに当代一流の陰陽師となり,ここに陰陽道賀茂,安倍両宗家の成立をみた。暦博士,播磨権介,大炊頭などを歴任し,従四位上右京権大夫を最後に没した。陰陽師としてのすぐれた活動は記録類に散見し,『権記』寛弘8(1011)年5月9日条には,怪異により一条天皇に攘災法の必要を指摘したが,これが容れられず崩御になったことが記されている。<参考文献>村山修一『日本陰陽道史総説』

(脊古真哉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賀茂光栄」の解説

賀茂光栄 かもの-みつよし

939-1015 平安時代中期の陰陽師(おんようじ)。
天慶(てんぎょう)2年生まれ。賀茂保憲の子。父に暦道をまなぶ。権暦博士,暦博士,大炊頭などを歴任して長和2年右京権大夫(ごんのだいぶ)となる。天文道をまなんだ安倍晴明とともに陰陽師の双璧(そうへき)と称された。長和4年6月7日死去。77歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の賀茂光栄の言及

【賀茂保憲】より

…平安中期の陰陽家。賀茂忠行の子。天文,暦道,陰陽道を学び,暦博士,天文博士,陰陽頭となる。ことに陰陽道は,父忠行からその奥義を伝授され,天皇・貴族の陰陽道諸祭に従事して,その第一人者となる。952年(天暦6),父のもつ位階を超えて従五位下が授与されようとしたさい,これを父に譲る。みずからの極位は従四位下。天文,暦道を子の光栄(みつよし)に,陰陽道を安倍晴明に伝えた。【早川 庄八】…

※「賀茂光栄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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