赤坂新町一丁目(読み)あかさかしんまちいつちようめ

日本歴史地名大系 「赤坂新町一丁目」の解説

赤坂新町一丁目
あかさかしんまちいつちようめ

[現在地名]港区赤坂三丁目

赤坂台地の北東麓低地に南北に延びる町屋。文政町方書上によると、北が赤坂一ッ木町続元赤坂あかさかひとつぎちようつづきもとあかさか町代地、東が赤坂田あかさかた町二丁目、西が赤坂一ッ木町。往古には豊島郡人継ひとつぎ村農地で、寛永一七年(一六四〇)千代姫(将軍徳川秀忠長女千姫)付の高田九兵衛・三宅五兵衛・中尾太兵衛の三人が拝領して赤坂新町二丁目と称し、翌一八年奥火の番長坂半兵衛、二ノ丸火の番亀岡庄兵衛・荒川金左衛門の三人がさらに拝領して寛文八年(一六六八)町並家作許可、延宝元年(一六七三)町奉行支配になった。寛政五年(一七九三)亀岡庄兵衛の地所は収用され、跡地は青山彦次郎の父半次郎、後藤新次郎の父弥左衛門の両人へ下された。両面のある片側町で、南北は表・裏幅とも京間延べ四八間余、東西裏行は南方同三三間余・北方二七間余、一千四八二坪余、ただし横町道幅を除き町屋側の両面の道幅半分は町内持。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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