赤坂新町二丁目(読み)あかさかしんまちにちようめ

日本歴史地名大系 「赤坂新町二丁目」の解説

赤坂新町二丁目
あかさかしんまちにちようめ

[現在地名]港区赤坂三丁目

赤坂新町一丁目の南に南北に延びる拝領町屋敷。片側町で、東が赤坂田あかさかた町二丁目・同三丁目、西が赤坂一ッ木あかさかひとつぎ町、浄土寺・同寺門前。文政町方書上によると、一ッ木村のうちであったが寛永一八年(一六四一)武家方の町並屋敷になり、元禄九年(一六九六)町屋ができたと伝える。諸事町用の計らいは赤坂新町三丁目との寄合町東西は南方田舎間四三間余・中央奥行同三七間余・北方同三七間、南北は東方同四七間余(うち三二間余は表間口、一五間は奥行)・西方同四七間余(うち三四間余は裏幅、一五間は裏行)、一千八五三坪余。家数九八、うち家主一一・地借二二・店借六〇・明店五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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