コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

赤松滄洲 あかまつ そうしゅう

2件 の用語解説(赤松滄洲の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

赤松滄洲 あかまつ-そうしゅう

1721-1801 江戸時代中期-後期の儒者。
享保(きょうほう)6年生まれ。赤松蘭室の父。播磨(はりま)(兵庫県)赤穂(あこう)藩医大川耕斎の養子。医学を香川修庵,儒学を宇野明霞(めいか)にまなぶ。延享4年同藩につかえ,のち家老にすすむ。寛政異学の禁に反対した。寛政13年1月8日死去。81歳。本姓は舟曳。名は鴻。字(あざな)は国鸞。通称は大川良平。別号に静思翁。著作に「周易便覧」「静思亭集」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

赤松滄洲

没年:享和1.1.8(1801.2.20)
生年:享保6(1721)
江戸時代中期の儒学者。播磨国(兵庫県)の人。名は鴻,字は国鸞,通称は大川良平。滄洲,静思翁と号した。父は舟曳通益。17歳のとき,赤穂藩医大川耕斎の養子となる。大川,舟曳両家とも赤松氏より出たので,著述では赤松を称した。若くして京都に出,医学を香川修庵,儒学を宇野明霞に学ぶ。延享4(1747)年,赤穂藩儒となり,のちに家老に至り治績を残す。宝暦10(1760)年に致仕,京都に出て儒学を講説。寛政異学の禁(1790)がおこると,厳しく非難した。その性格は剛直で,容貌魁偉,美髯の持ち主であった。<著作>『静思亭集』10巻

(高橋昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

赤松滄洲の関連キーワード神吉東郭鳥飼野人藤江東江藤江梅軒藤江熊陽藤江竜山藤吉子虎森俊春山口滄洲柳枝

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone