日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボナベントゥラ」の意味・わかりやすい解説
ボナベントゥラ
ぼなべんとぅら
Bonaventura
(1221―1274)
中世イタリアの神学者、哲学者。トスカナ地方バクノリア生まれ。1257年トマス・アクィナスとともに、托鉢(たくはつ)修道会士として初めてパリ大学神学博士の称号を得る。同年フランシスコ会長に選ばれて教授活動からは退き、教団形成当時からの厳格派と寛容派の対立の融和に尽力する。1260年にナルボンヌで総会を開いてフランシスコ会憲章を改訂公布した。思想的にはアリストテレス・アラブ思想と伝統的なアウグスティニズムの総合を図り、人文学部を中心とする急進的アリストテリズムに警告を発する。1274年の東西教会の和解を目ざすリヨン公会議の準備に携わり、会期中リヨンに没した。実践的、理論的両面にわたる融和への努力の指導原理は、宥和(ゆうわ)者であり仲介者であり、存在と知と人間の交わりの源泉であり、中心であるキリストと、その全き倣(まな)びを目ざしたフランチェスコの実践である。この意味で、彼は固有の仕方でフランシスコ教団の精神を具現した人物であった。主著としてパリ大学教授時代の『命題集註解(ちゅうかい)』はスコラ的著作であり、以後のものは小品ながら彼の思想的特色を端的に表すものが多い。『魂の神への道程』は代表作といわれる。スコラの概念的、分析的方法に熟達しつつ、ネオプラトニズム的な神秘主義、照明説の盛期スコラにおける代表者であり、アウグスティヌス的な神の似姿の説やディオニシウス的顕現説に基づき、全世界に神の足跡をみる象徴主義思想家でもある。
[坂口ふみ 2015年2月17日]