赤絵町(読み)あかえまち

日本歴史地名大系 「赤絵町」の解説

赤絵町
あかえまち

[現在地名]有田町字赤絵町

寛永末か正保(一六四四―四八)の頃磁器の赤絵付けに成功した陶工柿右衛門の技法は、鍋島藩窯(伊万里市の→大川内山に採用された。だが一般にも伝播したので、佐賀藩では製造方法の漏洩を防ぐため、上絵付業者を一ヵ所に集合させたが、それが赤絵町である。町は谷底の一本道で、隣接地の中野原なかのはるとの境に巨岩動石ゆるぎし)がのしかかり、袋小路地形を利用した秘法防衛に適切な立地となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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