越寿三郎(読み)コシ ジュサブロウ

20世紀日本人名事典 「越寿三郎」の解説

越 寿三郎
コシ ジュサブロウ

明治〜昭和期の実業家 俊明社社長。



生年
元治1年4月8日(1864年)

没年
昭和7(1932)年3月11日

出生地
信濃国須坂(長野県須坂市)

旧姓(旧名)
小田切

経歴
20歳の時に越家の養子となる。明治18年郷里長野県須坂の製糸結社・俊明社に加わり、蒸気機関を利用した二六釜を導入して業績を伸ばし、27年同社の社長に就任。33年には須坂織物株式会社を興し、長野のみならず埼玉・愛知に工場を増設した。次いで大正13年に長野製糸を設立して俊明社から独立。外国から優良蚕種を輸入するなど養蚕業にも力を注ぎ、原料生産から出荷までを全て自社で行う独自の生産体制を確立、最盛期には6千の釜を抱える大製糸会社に発展した。その一方、信濃電気株式会社や吉田カーバイト工場・信越窒素肥料株式会社などの創設や、高井銀行・農工銀行の経営にも参画。また、大正15年に創立された須坂商業学校に関与するなど、教育界でも活躍した。しかし、昭和恐慌の煽りを受けて急速に社運が傾き、昭和5年に長野製糸は倒産

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「越寿三郎」の解説

越寿三郎 こし-じゅさぶろう

1864-1932 明治-昭和時代前期の実業家。
元治(げんじ)元年4月8日生まれ。生地の長野県須坂町で製糸結社の俊明社に加盟,明治27年社長となる。大正14年独立して山丸組を結成,おおくの製糸工場を設立する。また養蚕特約組合を結成し,優良蚕種の普及をはかった。昭和7年3月11日死去。69歳。旧姓は小田切。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例