越後正一(読み)エチゴ マサカズ

20世紀日本人名事典 「越後正一」の解説

越後 正一
エチゴ マサカズ

昭和期の実業家 元・伊藤忠商事社長;京都全日空ホテル会長;関経連常任理事。



生年
明治34(1901)年4月26日

没年
平成3(1991)年4月2日

出生地
滋賀県葉枝見村(現・彦根市)

学歴〔年〕
神戸高商(現・神戸大学)〔大正14年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和38年〕,大阪府知事産業功労章〔昭和38年〕,勲二等旭日重光章〔昭和46年〕,オーストリア大銀功労章〔昭和53年〕,オーストリア名誉総領事,勲一等瑞宝章〔昭和57年〕,経済界大賞(寿賞 第14回 昭63年度)

経歴
大正5年から伊藤忠商事2代目社長・伊藤忠兵衛宅で、書生をしながら学校に通う。14年合同紡績(のち東洋紡)に採用が決るが、父の反対で伊藤忠商事に入社中国滞在、金沢支店長、昭和23年名古屋支店長などを経て、24年取締役、30年常務、34年専務のち副社長、35年社長、49年会長を務めた。この間、伊藤忠を繊維中心から鉄鋼・化学部門も取り扱う総合商社に育て上げた。53年から相談役。40年全日本空輸取締役。近畿ファッション産業振興協議会会長として、ファッション大学をつくって人材育成に取り組む。ほかに、日本綿糸布輸出組合理事長、大阪商議所副会頭、西本願寺門徒総代、茶道裏千家老分、読売テレビ放送取締役なども歴任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「越後正一」の解説

越後正一 えちご-まさかず

1901-1991 昭和時代経営者
明治34年4月26日生まれ。大正14年伊藤忠に入社。戦前は中国で繊維貿易にたずさわる。昭和24年取締役となり,35年社長。鉄鋼・化学部門を拡充し,同社を総合商社にそだてあげる。シベリア抑留から帰国した瀬島竜三をスカウトした。平成3年4月2日死去。89歳。滋賀県出身。神戸高商(現神戸大)卒。
格言など】いくら苦しい局面に立っても,恩義を忘れたらいかん

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「越後正一」の解説

越後 正一 (えちご まさかず)

生年月日:1901年4月26日
昭和時代の実業家。伊藤忠商事社長;京都全日空ホテル会長
1991年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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