足利五ヶ村
あしかがごかむら
[現在地名]足利市通五―七丁目・緑町一―二丁目・栄町一―二丁目・西宮町・巴町・雪輪町・井草町・大門通・昌平町・家富町・本城一―三丁目・柳原町・大正町・有楽町・元学町・東砂原後町・西砂原後町・田所町・旭町・丸山町・大町・相生町・大橋町一―二丁目・新山町など
両崖山・天狗山から南に派生する丘陵帯南麓に位置し、北は山嶺で大岩村・月谷村・江川村に接し、東は助戸村、西は今福村、南は足利新田。五箇村・五ヶ村とも記される。元禄郷帳には古くは足利本町と注され、近世において足利新田とともに通称足利町を形成した。正和五年(一三一六)九月日の常行堂三昧田注文案(輪王寺文書)に「五ケ郷」とみえ、検校分一町があった。五ヶ・五箇の名は、古代における空閑地(開発可能地)に由来するとされる。開発ののち、中世には足利庄の中心地となったと考えられる。「足利長尾顕長家来」に当村の者として柳田平内(永七〇貫文)・小屋新三郎(永四五貫文)・丸山清助(永八〇貫文)など九名の名がみえる。
寛文四年(一六六四)の土井利房領知目録に村名がみえることから、寛永一〇年(一六三三)には下総古河藩領、正保元年(一六四四)分家の土井利房領となったと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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