足立重信墓(読み)あだちしげのぶのはか

日本歴史地名大系 「足立重信墓」の解説

足立重信墓
あだちしげのぶのはか

来迎寺境内に松山城主加藤嘉明の重臣足立重信の墓と頌徳碑がある。重信は通称半助、のち半右衛門、美濃国の生れ。寛永二年(一六二五)没。文禄四年(一五九五)伊予正木まさき(松前)城主として入国した嘉明に従って来予し、伊予川(重信川)改修を行った。慶長五年(一六〇〇)嘉明による松山城下建設に当たっては、普請奉行となり、湯山ゆのやま川(のちの石手いして川)の付替、松山城の本丸(五層の天守閣をはじめ二七の楼櫓)造営に当たった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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