轟鉱山跡(読み)とどろこうざんあと

日本歴史地名大系 「轟鉱山跡」の解説

轟鉱山跡
とどろこうざんあと

[現在地名]清川村左右知 轟

延宝五年(一六七七)轟村又左衛門により同村内で銀山が発見され、翌六年には権三郎によって大鉱脈が発見されて岡藩による採鉱が始まったと伝える。「中川氏年譜」には延宝五年に轟村錫山が始まったと記される。銀一〇〇貫目を採収したのち元禄三年(一六九〇)二月には操業を中止したが、同六年には古銀山採掘が再開され、同一一年には採掘が止められたらしい(両郡古談)。享保一九年(一七三四)左右知そうち村の鍛冶職浅右衛門がまた轟村のうち小野おの奥上おくかみやまで銀の鉱脈を発見、同年三月頃から密かに採掘していたが、元文元年(一七三六)秋末に至りこの銀山を藩へ注進した(「古記録」加藤家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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