辛酉の獄(読み)しんゆうのごく(その他表記)Sinyu kyonan; Sinyu saǒk; Sinyu-ǔi-ok

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「辛酉の獄」の意味・わかりやすい解説

辛酉の獄
しんゆうのごく
Sinyu kyonan; Sinyu saǒk; Sinyu-ǔi-ok

朝鮮朝鮮王朝 (李朝) の純祖1 (1801,辛酉) 年の天主教 (キリスト教) 弾圧事件。朝鮮では 18世紀末からキリスト教が普及しはじめたが,当時朋党は時派,僻派に分れて争っていた。正祖 24 (1800) 年,貞純大妃の摂政のもとに純祖が即位すると僻派が政権を握った。時派にキリスト教徒が多かったことから,邪教排斥に名を借りて,同年 12月から翌年2月にかけてキリスト教に大弾圧を下した。キリスト教信仰の先駆者である李家煥,李承薫と丁若鍾ら南人系時派の人々,そして中国人神父周文謨が死刑,学者丁若 鏞 (ていじゃくよう) も配流されたほか,300名以上の教徒が殺された。

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