正祖(読み)せいそ

百科事典マイペディアの解説

正祖【せいそ】

朝鮮王朝第22代の王。在位1776年より1800年。先代の王で祖父英祖とともに,朝鮮王朝のルネッサンスと呼ばれる時代を築いた。幼時に父の思悼世子が英祖に櫃に閉じ込められて死ぬという悲劇を目撃したことで,即位後,宮廷の外戚党派の抗争を廃して徹底した文治主義による統治と王権の確立を目指したとされる。即位の翌年,王立アカデミーである奎章閣(けいしょうかく)を設置し,庶子身分の学者も積極的に閣員に採用した。党派にかかわらず優秀な学者を次々とブレーンとして登用したことで,思弁的な朱子学に替わって,現実を重視する実学が開花した。地方の両班や士林の郷村支配を抑制し宮廷の統治力の強化を図り,王直属の軍隊・壮勇営を設置して兵権の直接的な掌握を実行した。水原華城を建設して遷都する計画を立てたが完成直後に没し,遷都の実現は見送られた。
→関連項目丁若【よう】朴趾源

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世界大百科事典 第2版の解説

せいそ【正祖 Chŏng‐jo】

1752‐1800
朝鮮,李朝第22代の王。在位1776‐1800年。本名は李祘。先王の英祖とともに文芸復興の王として知られ,この2王の時代を英正時代などともよぶ。幼くして父の思悼世子が祖父の英祖に櫃(ひつ)の中に閉じこめられて死ぬという事件(1762)を目撃し,以後の時派(世子に同情),僻派(世子を非難)の対立を実見したために,終生,外戚や党派の争いをなくして,文治主義による王権の確立を目標とした。即位の年には王立アカデミーにあたる奎章閣(けいしようかく)を設置し,〈庶類疎通節目〉を出して当時社会的に冷遇されていた庶子(妾腹の子)の朴斉家李徳懋(りとくぼう)らを閣員に採用した。

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世界大百科事典内の正祖の言及

【水原城】より

…華城とも呼ばれた。李朝第22代正祖が建造したもので,1793年(正祖17)の末から翌年初にかけて築城が開始され,3ヵ年近くの歳月を費やして,96年の秋に完成している。邑城の規模や築城技術などの工事概況は,《華城城役儀軌》に詳しい。…

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