改訂新版 世界大百科事典 「正祖」の意味・わかりやすい解説
正祖 (せいそ)
Chǒng-jo
生没年:1752-1800
朝鮮,李朝第22代の王。在位1776-1800年。本名は李祘。先王の英祖とともに文芸復興の王として知られ,この2王の時代を英正時代などともよぶ。幼くして父の思悼世子が祖父の英祖に櫃(ひつ)の中に閉じこめられて死ぬという事件(1762)を目撃し,以後の時派(世子に同情),僻派(世子を非難)の対立を実見したために,終生,外戚や党派の争いをなくして,文治主義による王権の確立を目標とした。即位の年には王立アカデミーにあたる奎章閣(けいしようかく)を設置し,〈庶類疎通節目〉を出して当時社会的に冷遇されていた庶子(妾腹の子)の朴斉家や李徳懋(りとくぼう)らを閣員に採用した。また在位中には,数度の活字の鋳造を行って《大典通編》《同文彙攷(いこう)》などを印刷し,奎章閣閣員には《日省録》とよばれる公的日記を書かせ,みずからも《弘斉全書》という著作集を出した。この時期,党派にかかわらず優秀な学者を多くブレーンとして採用したので丁若鏞(ていじやくよう)をはじめとする実学が花開いたが,王の死後党争がからんだ天主教弾圧事件の辛酉(しんゆう)教獄(1801)のため実学は支持者を失った。
執筆者:鶴園 裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報