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朋党 ホウトウ

デジタル大辞泉の解説

ほう‐とう〔‐タウ〕【×朋党】

主義や利害を共通にする仲間。徒党。
中国で、宮廷内の官僚が結んだ政治的党派。代、王安石らの新法党司馬光らの旧法党代の東林党などがその典型的な例。

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世界大百科事典 第2版の解説

ほうとう【朋党 péng dǎng】

中国で官僚が私的に結合することをいう。君主制の下では官僚の朋党は君主権の貫徹をはばむものとして禁ぜられたが,王朝の末期には党の争いが激化し,党争のうちに王朝が滅亡するということがしばしば起こった。後漢には,宦官の専横に反対する清流党が,太学生らの広範な世論を背景に政府を攻撃し,李膺(110‐169)ら党人が逮捕され,禁錮せられた。その後,党人の多数が虐殺されている。これを〈党錮の獄〉という(党錮の禁)。

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大辞林 第三版の解説

ほうとう【朋党】

中国で官僚が結んだ政治上の党派。しばしば党派間の党争を起こした。後漢末の党錮の禁や、宋の新法党・旧法党の争いが有名。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朋党
ほうとう

党争」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

朋党
ほうとう

主義・利害を同じくするものが一つに結び合って他のものを排斥する政治団体をいう。旧中国において官僚はひとりひとりが天子に隷属すべきものとされ、官僚が横に結合して党派をつくるときは朋党として処罰された。朝廷で党争の激しいとき、互いに相手を朋党と称して罪に陥れることがあった。宋(そう)の仁宗(じんそう)(在位1022~63)のとき、党争の風潮がしだいに強くなり、党派に対する議論が激しくなったおり、欧陽修(おうようしゅう)は『朋党論』を著し、小人の党は永続せず、君子の結合だけが永続できると論じた。清(しん)の雍正(ようせい)帝(在位1722~35)は『御製朋党論』をつくり、官僚はいかなる理由があっても党派をたてるべきではなく、党派はすべて小人の所業だと論じ欧陽修の議論を排撃した。[宮崎市定]

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