辺留城跡(読み)べるぐすくあと

日本歴史地名大系 「辺留城跡」の解説

辺留城跡
べるぐすくあと

[現在地名]笠利町辺留

グスク跡。辺留集落の北側にあり、笠利集落の南側につながる。東は太平洋に接した砂丘隆起珊瑚礁の海岸で、標高一二メートルを最高地点とする台地に築かれている。奄美大島の中枢に位置しており、慶長一四年(一六〇九)の島津氏の軍勢に対して当城が有力な拠点であったと想定しうる。島津勢が深江ふかえ(現龍郷町)に上陸、笠利に人衆が多数集まっていたので制圧したとされるが、その奄美側の指導者として笠利大屋子の喜志統親方(嬉姓喜志統親方系図)笠利間切の大屋子の思次郎(前島家系図)、笠利間切の大親の真牛(同系図)、笠利間切宇宿大親職の一世宇宿首里大親(和家系図)ひぎや間切大屋子の思古貞為充(田畑家系図)、東間切大屋子の笠利佐文為転(同系図)と六人の名があがっている(以上「奄美大島諸家系譜集」所収など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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