日本歴史地名大系 「近見山城跡」の解説 近見山城跡ちかみやまじようあと 愛媛県:今治市石井村近見山城跡近見山山頂にあり、石井(いしい)村の北端にあたるため石井山城ともいわれ、また城内に三島明神を祀り近年までその社があったことから明神山(みようじんやま)城ともいわれる。城主は河野氏の一族、通親以下代々重見氏で、戦国期には通昭・通種らの居城。応仁の乱以来河野氏は惣領家と庶家とが対立して争っていたが、文亀三年(一五〇三)には平岡下総守、大永三年(一五二三)には鷹取(たかとり)城主正岡経貞ら家臣団にも次々と背かれた。重見通種が河野通直の命に背いたことは「予陽河野家譜」の享禄三年(一五三〇)の記事に「有違命之事」とあるだけで理由は不明であるが、謀反の疑をもった通直は、来島(くるしま)城主来島通康に追討を命じた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by