迫門坂(読み)せとざか

日本歴史地名大系 「迫門坂」の解説

迫門坂
せとざか

[現在地名]熊本市京町本丁・壺川一丁目

京町きようまち東柳川小距ひがしやながわこうじの北側中央部から寺原てらばる北部へ下る二百数十メートルに及ぶ東西のかなり急な坂。近世武家屋敷の中を通っていた。「国誌」によれば、背戸坂、または瀬戸坂とも記すとあり、名称の由来は「往古谷中潮乾カサル時、当時ノ津ノ浦船場村ノ畔リ、万船輻湊ノ津ニテ、此処其迫門口ナリシ、其遺名ト云」とある。また、迫門坂を上り迫門口(現在不明)より北に向かって上る小坂があり、ここで転んだ者は三年以内に死ぬため、三年さんねん坂とよぶという伝承が記される。江戸時代には迫門坂の両側に足軽・鉄炮衆屋敷が隙間なく並んだ。元禄(一六八八―一七〇四)頃には、坂の南側に二四の鉄炮衆屋敷が並ぶ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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