竹添進一郎(読み)タケゾエシンイチロウ

デジタル大辞泉 「竹添進一郎」の意味・読み・例文・類語

たけぞえ‐しんいちろう〔たけぞへシンイチラウ〕【竹添進一郎】

[1841~1917]外交官漢学者肥後天草の生まれ。号、井井せいせい明治15年(1882)朝鮮弁理公使甲申こうしん政変関与。のち、東大教授。著「左氏会箋かいせん」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「竹添進一郎」の意味・わかりやすい解説

竹添進一郎 (たけぞえしんいちろう)
生没年:1842-1917(天保13-大正6)

明治期の外交官,漢学者。字は光鴻(こうこう)。井井と号した。肥後天草の人。幕末・維新期に熊本藩のため京都,江戸に奔命した。1875年,伊藤博文らの知遇で森有礼に随行して渡清し,さらに翌76年,中国内地を旅行し《桟雲峡雨日記》を著す。大蔵省勤務をへて80年天津領事となり,琉球分島問題で井上毅らと清政府に交渉した。壬午軍乱花房義質(よしもと)の後任韓国公使としてソウル(京城)入りし,独立党の金玉均,朴泳孝らを助け日本勢力の扶植に努めたが,84年暮れの独立党クーデタ(甲申政変)に日本軍を王宮に進めながら清軍に反撃され,失敗した。翌85年帰国,経書研究に転じ,帝国大学文科大学教授(1893-95)として漢学を講じた。1914年《左氏会箋》で学士院賞を受賞。
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百科事典マイペディア 「竹添進一郎」の意味・わかりやすい解説

竹添進一郎【たけぞえしんいちろう】

明治期の外交官,漢学者。肥後天草(現,熊本県)の人。光鴻(こうこう)・井々(せいせい)と号する。幕末,維新期は熊本藩に仕えた。1875年修史局御用掛となり,森有礼に随行して渡清,翌年再び清国を旅行して《桟雲峡雨日記》を著す。1880年天津領事となり,琉球帰属問題で清政府と交渉。1882年公使としてソウル(京城)入り,1884年の甲申政変開化派(独立党)に協力したが,清国軍が介入するや,開化派護衛の日本軍を一方的に引き揚げて帰国。1893年外務省退官,その後1895年まで帝国大学文化大学で漢学を講じた。1914年《左氏会箋》で学士院賞受賞。

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朝日日本歴史人物事典 「竹添進一郎」の解説

竹添進一郎

没年:大正6.3.31(1917)
生年天保13.3.15(1842.4.25)
明治時代の外交官,漢学者。熊本県生まれ。名を光鴻,号を井井と称する。幕末維新時は熊本藩士として藩命により国事に奔走し,明治政府に出仕して大蔵省,外務省に勤務する。明治13(1880)年天津領事,15年朝鮮国弁理公使となり朝鮮の開化派を支援し,甲申政変(1884)に深く関与した。政変の事後処理ののち,翌年公使を辞任した。帝大で経書を講じたが,のちに著作活動に専念し,大正3(1914)年に帝国学士院賞を受け,文学博士となった。明治初期の日本の対朝積極外交の立役者のひとりであった。<参考文献>武藤厳男『肥後先哲偉蹟』

(森山茂徳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹添進一郎」の解説

竹添進一郎 たけぞえ-しんいちろう

1842-1917 明治-大正時代の外交官,漢学者。
天保(てんぽう)13年3月27日生まれ。もと肥後熊本藩士。維新後大蔵省勤務,天津領事をへて,駐朝鮮弁理公使となる。明治17年朝鮮の甲申(こうしん)事変に介入して辞任した。大正3年「左氏会箋」で学士院賞。大正6年3月31日死去。76歳。名は光鴻。字(あざな)は漸卿。号は井々。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹添進一郎」の意味・わかりやすい解説

竹添進一郎
たけぞえしんいちろう

[生]天保13(1842).肥後,天草
[没]1917.3.31. 東京
漢学者,外交家。名は漸,号は井井 (せいせい) 。熊本の儒者木下犀潭に学び,戊辰の役に熊本藩の参謀となり,維新後に朝鮮公使など,外交官として活躍したが,のち東京帝国大学教授として経書を講じた。主著『桟雲峡雨日記』 (1875) ,『左氏会箋』 (1914) 。

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世界大百科事典(旧版)内の竹添進一郎の言及

【甲申政変】より

…封建制度を残したまま資本主義列強に開国した(1876)朝鮮にとって,国内体制の近代的改革は焦眉の問題となった。1884年8月にインドシナ問題をめぐる清仏戦争が起こり,開化派は一挙に守旧派から奪権すべく日本公使竹添進一郎の協力を求め,同年12月4日洪英植を総弁とする郵政局開設宴に参席した守旧派に対するクーデタをのろしとして行動を開始した。金玉均,洪英植,朴泳孝らは,士官学生や壮士を指揮して国王高宗と王妃の閔妃(びんひ)を守旧派から隔離させ,日本軍の出動を求めて護衛した。…

※「竹添進一郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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