日本歴史地名大系 「通津郷」の解説 通津郷つづごう 山口県:岩国市通津郷[現在地名]岩国市大字通津・大字長野(ながの)現岩国市の南部で、高照寺(こうしようじ)山の東に広がり、東は瀬戸内海に面する。その南は由宇(ゆう)郷(現玖珂郡由宇町)の地。年代不詳であるが鎌倉時代前期とされる東大寺文書中の「大内介知行所領」に、本庄(ほんしよう)・由宇郷・横山(よこやま)などに並んで「一所通津郷」と記される。その後、弘治二年(一五五六)一〇月、毛利隆元が高井雅楽允に与えた知行充行状(閥閲録)に「玖珂郡日積村之内(中略)通津郷之内四石五斗足」とある。この名称は近世の初めまで残り、寛永三年(一六二六)の熊野帳にも通津郷として記される。その郷域はのちの通津村・長野村両村域である。慶長一五年(一六一〇)の検地帳では村高一千五〇九石余、家数農家一〇五、漁師四五であったが、熊野帳では村高一千九五七石余、農家一一九軒、漁師四九軒。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by