進美寺城跡(読み)しんめいじじようあと

日本歴史地名大系 「進美寺城跡」の解説

進美寺城跡
しんめいじじようあと

[現在地名]日高町赤崎日置

円山まるやま川右岸、赤崎あかさき集落東側の標高三六一メートルの進美寺山に所在し、集落との比高は約三四〇メートル。進美寺山に築かれた城を一括して進美寺城とよぶが、現在確認されているだけで(全山縄張り調査は未実施)、寺院進美寺を核とする進美寺城のほか白山はくさん城・掻上かきあげ城の二つの城がある。

南北朝期には進美寺は南朝方の一大拠点となり、北朝軍との間で激しい攻防戦が展開された。建武三年(一三三六)八月、進美寺を中心に南朝勢力がいっせいに蜂起した。これを制圧するために北朝方の今川頼貞に従って京都から但馬に帰国した養父やぶ小佐おさ(現八鹿町)地頭伊達孫三郎義綱の軍勢は、同月三日進美寺に向かい南中尾に攻め上り、五日には熾烈な戦闘が行われ、旗差大次郎が頭を打破られ、半死半生重傷を負った。そして一三日には荏原えばら(江原)口から夜責め(夜襲)をかけて進美寺勢を本堂に追込め、一四日には本堂・八角堂に立籠る僧徒を追落とし(同年八月日「伊達義綱軍忠状」南禅寺文書)、同五年五月には、北朝方の但馬守護桃井盛義は伊達義綱に対し、「進美寺城郭、今月二日合戦間、可被致警固」と命じており(同月一日「桃井盛義警固役催促状」伊達家文書)、進美寺城から南朝軍が追落され、進美寺は北朝軍が占拠した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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