進藤信義(読み)シンドウ ノブヨシ

20世紀日本人名事典 「進藤信義」の解説

進藤 信義
シンドウ ノブヨシ

明治〜昭和期の新聞人 神戸新聞社長。



生年
明治11(1878)年3月3日

没年
昭和26(1951)年3月11日

出生地
愛媛県

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早大)

経歴
神戸新聞を振り出しに、大阪毎日新聞を経て、明治42年神戸新聞に主幹として返り咲き、30余年間社長を務め、同紙を地方新聞界の雄に育て上げた。その間、京都日日新聞大阪時事新報合併、三都合同新聞社を創設、力のある地方紙網を計画して買収の手を広げたが失敗した。以後は神戸新聞経営に専念、常にリベラルな立場を通す。天長節に皇室を賛える社説を掲載しないなど、当時の国策に迎合しなかったため、特高警察ににらまれ、株の譲渡を強要されて退任に追い込まれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「進藤信義」の解説

進藤信義 しんどう-のぶよし

1878-1951 明治-昭和時代前期の新聞経営者。
明治11年3月3日生まれ。東京専門学校(現早大)にまなび,「神戸新聞」「大阪毎日新聞」の経済記者をへて,明治42年主幹として神戸新聞社に再入社。のち2代社長となる。「京都日日新聞」「大阪時事新報」を買収するなど,同紙を地方紙の雄にそだてあげたが,その自由主義的立場が特高ににらまれ,昭和16年退陣。昭和26年3月11日死去。73歳。愛媛県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android